モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY21 - こんな時代だからこそ、たまには旅の話でも 〜WRC初開催のベルギーに想いをはせて

こんな時代だからこそ、たまには旅の話でも
〜WRC初開催のベルギーに想いをはせて

WRCな日々 DAY21 2021.8.27

イープル・ラリー・ベルギー。緑鮮やかな農村地帯を疾駆するラリーカーの姿とタイムを、今回もパソコンの画面を通してフォローした。ベルギーでWRCが開催されるのは実は今回が初めて。その事実が意外に感じられるくらい、ベルギーはモータースポーツが非常に盛んな国で、僕もこれまで何度もレースの取材で足を運んだ。そこで今回は、ラリーの展開だけでなく、過去に経験した「ベルギーの旅」についても記したいと思う。

僕が初めてベルギーを訪れたのは、今から約30年前の学生時代。夏休みをフルに使ったヨーロッパ長期貧乏旅行の序盤に、イギリスからフェリーでドーバー海峡を渡り、ブルージュという古都を目指した。「北のベニス」とも呼ばれるブルージュは運河に囲まれた美しい水の都で、今回ラリーの舞台となったイープルの約60km北に位置している。僕はとにかくブルージュの街が気に入り、1泊3000円の安宿に1週間滞在した。当時はとにかくお金がなくて、食費は一日三食で1000円までと決めていた。だからレストランなんてなかなか行けず、できるだけ安く腹を膨らませようと、宿の近くにあったフライドポテト屋さんに毎日通った。聞くところによると、フライドポテト発祥の地はベルギーだという。ベルギーのイモは本当に美味しかったけど、毎晩だとさすがに飽きる。少しお金を追加すればカレーソースやマスタードソースなど魅力的なフレーバーを追加できるのだが、節約のために我慢していた。しかし、3日目くらいに店のオジサンと仲よくなり、毎晩来てイモだけを注文する貧乏学生を不憫に思ったのか、大量のトッピングを無料でサービスしてくれるようになった。だから、今でもベルギーでフライドポテトを口に運ぶ時は、あの優しかったオジサンの笑顔と、フレーバーを思い出す。

その後僕は電車とバスを乗り継ぎ、約260km東に離れたスパ・フランコルシャン・サーキットに向かった。そう、今回のイープル・ラリーと同じようなルートをたどったのだ。憧れの「スパ」を訪れた目的は、有名なスパ24時間レースを見るためで、僕にとっては前年のル・マン24時間に続く、二度目の24時間レース観戦だった。しかし、軽い気持ちでサーキットを訪れたのが間違いだった。夜になると雨が降り始め、宿に帰るためのバスも終わってしまったため、成す術なく一晩中スタンドで雨に打たれ続けた。小さな折畳み傘など悪名高きスパ・ウェザーに対しては全く役に立たず、僕は全身ずぶ濡れになり、夏なのに寒さでガタガタ震えながらレースを見ていた。スタンドの裏ではなぜかプロレスをやっていて、真夜中なのに地元のファンの皆さんはビール片手に異常に盛り上がっていた。近年、WEC(世界耐久選手権)の取材でスパを訪れることも多いが、その度に、ずぶ濡れになりながら見た夜中のプロレスの光景が頭に浮かぶ。

今回のイープル・ラリーは、最初の2日間はベルギー西部のイープルを中心に、最終日は東部のスパ・フランコルシャンを中心に行なわれた。スパに設定されたステージはとてもユニークな構成で、例えば、最終のパワーステージは一般道をスタートしてサーキット内に入り、普段はレース運営車両が走る、道幅が狭いコース脇の施設道路を通ってサーキットの本コースに合流。このサーキットの代名詞ともいえるコーナー、オールージュを一気に駆け上がり、世界ラリークロス選手権でも使われるグラベル(未舗装路)コースを少し走ってフィニッシュするという、盛りだくさんな構成だった。一般道からサーキットに至るコースは、WECの取材で僕が毎日通勤していた道だっただけに「そこでラリーをやりますかい!?」と思わず膝を叩いた。例えるなら、山中湖近くの田舎道をスタートして富士スピードウェイの正面ゲートをアクセル全開で通過、駐車場に向かうための場内道路をドリフトで駆け抜けてサーキットに突入……といった感じだ。昨年末のWRCラリー・モンツァもそうだったが、これからは常設サーキットを上手く活用したステージが徐々に増えていくかもしれない。

イープル・ラリーは、スパでの最終日に世界ラリークロス選手権を併催するという素晴らしいプランも、昨年の時点では計画されていたという。残念ながら今回は実現しなかったが、ステージの途中にラリークロスのグラベルコースが含まれていたのはその名残である。そういえば、僕は以前メテ・サーキットで開催されていた世界ラリークロス選手権のベルギー戦を取材したことがある。日本人が来たのがよほど珍しかったのか、地元の新聞の取材を受け、ラリークロスの魅力や、ベルギーという国の素晴らしさについて語った。そして、最後におまけで「毎晩仕事が終わった後のベルギービールは最高です」と述べたのだが、翌日の新聞には「日本から来た記者、ベルギービールを堪能」という記事が掲載されていた。ラリークロスについて熱く語ったつもりだったのに、その内容はほぼカット。どうやら単なる呑んべい日本人としてしか見られていなかったようだ。

スパのステージでフィニッシュした今回のイープル・ラリーは、ティエリー・ヌービル(ヒュンダイ)が昨年の開幕戦ラリー・モンテカルロ以来の優勝を果たした。ヌービルの出身地は、スパの30km南にあるザンクト・フィートという町で、ベルギー人の彼にとってはまさに地元優勝。これまでに8回イープル・ラリーに出場経験があり、ステージについては知り尽くしていたとはいえ、絶対に勝たなければならないプレッシャーのかかる1戦で優勝したのはさすがだ。また、総合2位にはクレイグ・ブリーン(ヒュンダイ)が入ったが、彼もまたイープルの出場経験がとても豊富。それだけに、初出場ながらヤリスWRCを総合3位に導いたカッレ・ロバンペラの健闘が光る。

最初の2日間が行なわれたイープル周辺の農道ステージはとにかく道幅が狭く、それでいて超高速という、実にトリッキーで難易度の高いステージが多かった。今回は残念ながらクラッシュでリタイアに終わった勝田貴元によれば、見た目は全く同じターマック(舗装路)に見えても実はグリップレベルが所々で全然違い、その上舗装路の表面には畑の泥が積もり、非常に滑りやすかったという。また、路面には微妙なバンプ(凹凸)も多くあり、勝田は高速の左コーナーにあった小さなバンプでステアリングをとられてディッチ(側溝)に飛ばされ、電信柱に激突した。かなり激しいクラッシュだったが、誰も怪我をしなかったのは不幸中の幸いだった。

この勝田のクラッシュはイープル・ラリーの難しさを象徴するもので、ほんの僅かなミスが大きなアクシデントに繋がる。だからこそ、他のラリー以上に実戦経験が重要なのであり、勝田を含めて全員が初出場だったトヨタ勢は序盤苦戦したのだ。ステージに対する理解だけでなく、セッティングについてもやはり経験が大きなウエイトを占め、初日の午前中はサスペンションがやや硬く、タイヤを上手く接地させることができていなかったという。そして、金曜日の午後に最適なセットアップを導き出した時、ヌービルとブリーンは既に大きなリードを築いていた。

そのような状況にあって、前戦ラリー・エストニアでWRC初優勝を飾った20歳のロバンペラは、冷静に、しかしアグレッシブに難ステージを攻めた。ひとつ前のターマック・ラリーだった第3戦ラリー・クロアチアでは、最初のステージで崖を転げ落ちリタイアという憂き目に遭った。そのためヤリスWRCでのフルターマック・ラリーの経験は十分とはいえなかったが、そのハンデを全く感じさせないような素晴らしい走りを今回は存分に見せてくれた。ハイスピードなステージはもともと彼が得意とするところだが、今回のように路面のグリップが安定せず、ミスをしやすい路面でも臆することなく攻めきったのは、クルマのコントロールに絶大な自信を持っていたからだろう。

もしもイープル初出場ではなく、クルマのセッティングも走り始めから決まっていたら、ロバンペラは首位争いに加わっていた可能性もある。また、経験豊かでターマック・ラリーも得意とするチームメイトのふたり、すなわちセバスチャン・オジエとエルフィン・エバンスよりも総じて速く、しかも安定していたという事実は、彼の将来にとって非常にポジティブな材料である。もちろん、オジエとエバンスが初日を不利な出走順で走ったという事実は考慮する必要があるが。今年はスノーのアークティック・ラリー・フィンランドで総合2位に入り、グラベルのラリー・エストニアで優勝し、そしてターマックのイープル・ラリーで総合3位に入った。つまり、ロバンペラはいかなる路面コンディションでも速く走れる「オールラウンダー」であることを、今回のイープルで証明したのだ。次のターマック・ラリーは、10月に予定されているラリー・スペイン。同じターマック・ラリーでも、イープルとはキャラクターが大きく異なり、一般的な峠道に近い流れるような中速コーナーが多い。もし、スペインでもロバンペラがトップ争いに加わることができたならば、彼のターマック・ラリーでの実力はいよいよ本物である。僕もできれば、現地で取材をしたいなと思っている。もちろん、取材の後はハモン・イベリコと赤ワインで……。また地元の新聞に「日本人ジャーナリスト、ハムと赤ワインを堪能」と書かれてしまうかな?

古賀敬介の近況

自動車新車誌の仕事でトヨタ車体の社員ドライバーである三浦昂選手を取材。発売されたばかりの新型ランドクルーザーの開発に携わった三浦選手と、チームランドクルーザーが果たした役割についてお話しを聞きました。今や日本を代表するトップラリーレイドドライバーになった三浦選手の話は本当に興味深く、またモータースポーツ部門の意見が新型ランドクルーザーに色濃く反映されていることも理解できました。それにしても、ナビゲーターからスタートしてダカールラリー優勝ドライバーになった三浦選手、その努力と情熱は本当に素晴らしいです!

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