モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY27 - ハイブリッドWRC元年、その初戦を盛り上げたのは、合わせて85才「ふたりのセブ」だった。

ハイブリッドWRC元年、その初戦を盛り上げたのは、
合わせて85才「ふたりのセブ」だった。

WRCな日々 DAY27 2022.2.4

コロナ禍により昨年はラリー・モンテカルロの取材をすることができなかった。それから一年経っても世界の状況はあまり変わっていない。しかし、今年は絶対に取材をしたい、しなければならぬと思った。なぜならWRCが新時代を迎える、その初戦であるからだ。

自分が納得できるまで入念に感染対策をして渡航準備を行い、そわそわ、わくわくしながら日本を発ちフランクフルト経由でモナコ最寄りのニース空港を目指した。着陸予定時刻まであと15分。飛行機は徐々に高度を下げ始め、眼下にキラキラ輝くコートダジュールと、そのすぐ近くまで迫る険しい山々が見えてきた。ラリーの舞台となるフレンチアルプスの最南端だ。しかし、何だかいつもとは印象が違う。山肌が茶色い、つまり雪が極端に少ないのだ。「今年は久々のドライモンテになるのか」と、思った。

開催90回目という、記念大会である今年のラリー・モンテカルロは、ラリーの中心となるサービスパークが、久々にモナコのハーバーに置かれた。ここしばらくはフランス南部、セバスチャン・オジエの故郷に近いギャップがホストタウン役を担ってきたが、より南に位置するモナコがベースとなったことで、ステージ構成が大幅に変わった。例年それほど雪が多く降るエリアではないが、ラリー前にしばらく晴天と暖かい日が続いたことで、土曜日に走行する「システロン」の1ステージを除き、路面に雪は全くなかった。三日間かけてステージをレンタカーで下見し「ドライモンテは、一体いつ以来だったっけ?」と記憶を辿った。

雪と氷のラリーとして知られるモンテカルロだが、何年かに一度は雪が全くない年もあり、それをドライなモンテカルロ=ドライモンテとWRC関係者は呼ぶ。今年に関しては唯一、冬季の除雪を行なわなかった道をラリーのために開放したことで、かろうじてシステロンの峠に短い雪道区間が残された。そして、その約4km前後の雪道で、今回のモンテカルロ最大のハイライトとなった「ふたりのセブ」による、素晴らしい優勝争いが繰り広げられたのである。

今年、WRCはトップカテゴリーの車両レギュレーションが実に25年ぶりに大幅改訂され、従来のWRカーから、Rally1へとバトンが受け渡された。Rally1は新たにハイブリッドユニットが搭載されたことが最大のトピックである。WRカーから引き継がれたのはエンジンと駆動系の一部のみであり、その他は全て新設計。TOYOTA GAZOO Racing WRTは、従来のヤリスWRCに換えて、新たにGR YARISをベースに開発した「GR YARIS Rally1」を、モンテカルロに投じた。380馬力以上を発するエンジンに、モーター&バッテリーによるハイブリッドブーストが加わることで、最高出力は瞬間的に500馬力以上に達する。とんでもないモンスターラリーカーだが、ロールケージの強化など安対対策はWRカー以上にレベルアップされており、WRCの新時代に相応しいバランスのとれたクルマといえる。

一方で、クルマ全体のコストを下げるために、開発規制が強められた。ステアリング裏のパドル操作によるセミオートマチックシフト、前後の駆動配分を電子制御でバリアブルにするアクティブセンターデフは禁止に。ダウンフォースを得るための空力パーツは制限が強化され、サスペンションのストロークも大幅に短くなった。それら数々の制限により、エンジンとハイブリッドユニット以外の項目については、ひとつ下のクラスであるRally2(旧、R5)車両に近いスペックになったといえる。特に、走りに影響が大きく出るのはアクティブセンターデフの廃止であり、クルマは従来よりも曲がりにくくなる、つまりアンダーステアが強まるだろうと予想された。

Rally2カーは以前からアクティブセンターデフの設定がなく、そのため比較的最近までRally2をドライブしていた、若い世代のドライバーたちが有利なのではないか、そして、曲がりにくいクルマをドリフトで曲げることが得意とされる、北欧系のドライバーが力を発揮しやすいクルマになる可能性が高いと、TGR WRTのヤリ-マティ・ラトバラ チーム代表を含む多くのWRC関係者は予想していた。TGR WRTにおいて、それらの条件にもっとも当てはまるのは21才と若く、2019年にRally2カーでWRC2 Proのシリーズチャンピンに輝いたカッレ・ロバンペラである。また、エルフィン・エバンスもRally2の前身であるR5の経験が十分にあり、勝田貴元は3年前までR5でシリーズを戦い、2勝した実績がある。そのため、他のチームも含め、若い世代のドライバーたちが今年のモンテカルロでは活躍するのではないかと考えられていた。

ところが、いざラリーが始まってみれば、最初から最後まで優勝を争ったのは38才のオジエと、久々にWRC復帰を果たした47才のセバスチャン・ローブ(フォード)の大ベテランふたり。「ふたりのセブ」が、WRC新時代の初戦でダブル主演を演じたのだった。オジエは、昨年もヤリスWRCでモンテカルロを制し、通算8回(WRCではなくIRCとして開催された2009年大会も含む)このラリーで勝っている。一方のローブはWRC開催のモンテカルロで7勝。2003年以降、このふたり以外にモンテカルロを制したドライバーは4人しかいない。つまり、ふたりのセブこそモンテカルロの生き神であり、卓越したドライビングテクニックに加え、このラリーでの圧倒的な経験値を誇る。とはいえ、彼らがアクティブセンターデフのないクルマに最後に乗ったのはかなり前のこと。また、ブレーキングによるエネルギー回生量を常に計算しながら走るという、デジタル世代の若者のほうが得意そうに思える、今までとは違うアプローチが必要なため、失礼ながら彼ら旧世代のドライバーたちが、どこまで適応できるのかは大きなクエスチョンマークだった。が、ふたりのセブは他のドライバーたちよりも早くRally1に適応し、走り始めから性能をフルに引き出していた。

たしかに、エネルギー回生量を増やすため、今までよりもブレーキングの時間を長めにとるなどドライビングの調整は必要だったという。しかし、意外にも彼らふたりはすんなりとRally1を乗りこなしてしまった。ハイブリッドブーストにより瞬間的なパワーが上がっても、クルマの重量が増えても、ドライバーエイドと呼ばれる運転を楽にするデバイスが制限されても、ふたりのセブはクルマをすぐに自分の支配下に置き、昨年までと変わらぬ攻めた走りを見せ、激しい優勝争いを繰り広げたのだ。一方で、もっとも活躍が期待されたロバンペラは序盤、予想外の不振に苦しんだ。イベント前のテストではクルマに自信を持ち、きっと上位を争えるだろうとチームのエンジニアたちは考えていたのだが、彼は序盤10番手前後のタイムに終始した。Rally1の中では最下位レベルのステージ順位であり、全く予想外の展開だった。

しかし、終盤にかけて徐々にタイムは良くなっていき、競技3日目最初のステージで2番手タイムを刻むと、完全にクルマを自分のものにした。以降、ロバンペラはベストタイムを3回刻み、ボーナスポイントがかかる最終のパワーステージも制覇。失いかけていた自信を完全に取り戻し、総合4位といい形でラリーを締めくくった。ではなぜ、ロバンペラは序盤苦しみ、終盤盛り返したのだろうか? 新しい要素であるハイブリッドユニットの使い方に問題があったのだろうか? チームのエンジニアに取材したところ、そうではなかった。アクティブセンターデフが廃止されたことで、確かにクルマは以前よりも曲がりにくくなった。そこで、テストではサスペンションも含め、曲がりやすいセッティングを施し、それがテスト時は非常に有効だったという。ところが、ラリー本番では曲がりやすさが、安定性を欠く印象に変化し、積極的にクルマを曲げていけなくなってしまったというのだ。そこでチームは、サスペンションに関しては安定性を高める、どちらかというとアンダーステアを強める方向に変更し、駆動系で曲がりやすさを出していった。ロバンペラの持ち味である、アグレッシブにクルマの姿勢を変えていくドライビングが生きるセッティングを、最終的に見つけることができたのが、復活の理由であった。

興味深いのは、ハイブリッド等の電子的なデバイスの調整でなく、駆動系やサスペンションといった、従来と変わらぬコンベンショナルな機械パーツの調整によってパフォーマンスを高めたという事実だ。ハイブリッドユニットが初戦にも関わらず上手く機能していたのは、エンジニアの手腕によるところで、実際3マニュファクチャラーのRally1の中では、GR YARIS Rally1がもっともトラブルが少なく性能が安定していた。そして、ハイブリッドユニットの安定性が確保されていたからこそ、ロバンペラは機械的なセッティング調整でスイートスポットを見つけることができたのだ。次戦は、彼が得意とするフルスノーイベントのラリー・スウェーデン。アグレッシブなスタイルが有効なラリーであるが故に、ロバンペラのさらなる活躍が楽しみである。

若きロバンペラが苦悩し、正解を見つけるために奮闘していたその頃、彼と親子ほども年齢が離れているふたりのセブは、手に汗握る大接戦を演じていた。オジエは初日の2本のナイトステージで連続ベストタイムを刻み、ラリーリーダーとなった。しかし、2日目の午前中は5番手や7番手タイムと遅れをとったステージもあり、首位の座をローブに明け渡した。オジエはそれについて「路面のグリップレベルを把握することが難しかった。いくつか凍結している場所もあり、慎重に走らざるを得ないことも少なくなかった」と理由を述べたが、早朝ステージサイドで撮影していた僕はそのコメントを聞いて納得した。朝のステージを撮影するため、僕は午前5 時ごろモナコ近くの宿を出て、約100km離れた山岳地帯を目指した。8時頃まで谷間を通る道に太陽の光は届かず、この時期にしては暖かいとはいえクルマの温度計はマイナス3度前後を指す。走りながら温度計を頻繁に確認していると、突然マイナス10度近くまでガクンと下がるような場面に出くわすこともある。雨はしばらくなく、路面はドライであるにも関わらず、そういった場所では路面の僅かな湿り気が凍り、うっすら白くなっている。ヘッドライトの光りでは、それが霜なのか、それとも凍結防止剤の白い粉なのか、瞬時に見極めることは難しい。しかし、やがて日が昇り路面を照らすようになると霜は解けて消える。日の出前後の30〜40分で、路面コンディションは大きく変わるのだ。

ディフェンディングチャンピオンとして、出走順1番手で臨んだオジエは、デイ2の午前中で誰よりも暗く、冷え切った道を走った。今回は3分間隔の出走であり、オジエとRally1最後尾出走のローブのスタート時間は30分違った。その間に路面コンディションはどんどん良くなり、路面温度も上がりタイヤは暖まりやすくなっていく。この30分の違いは想像以上に大きく、僕が撮影した写真も同じ場所であるにも関わらずオジエのクルマは日陰、ローブは順光と色合いが大きく異なった。少なくとも、デイ2の午前中に関してオジエがかなり不利なコンディションで走っていたことは確かであり、それでも総合2位、首位ローブと9.9秒差で1日を終えたのは流石モンテマイスターである。もちろん、出走順がやや有利だったとはいえ、久々のWRCで首位に立ったローブも素晴らしい。新旧世界王者、合計17回もチャンピオンに輝いているふたりのセブによる戦いは、2日目の時点で既に自分を含め見る者の気持ちを強く揺り動かしていた。

競技3日目のデイ3は、唯一雪が残るシステロンのステージを走行する一日。ステージの名前にシステロンという地名はないが、これは言うなれば箱根のようなもので、箱根にいくつか峠道があるように、システロンにも何本も峠道がある。年によって使われる道は違い、ステージの名称も変わる。それでも、システロンはチュリニ峠と並ぶラリー・モンテカルロの古戦場であり、過去には数々の名勝負が繰り広げられてきた。そして今年、システロンでまたひとつ伝説が生まれた。ふたりのセブによって。午前中の3本のステージのうち、システロンを含む2ステージでベストタイムを記録したオジエは、首位に返り咲いた。その時点で、総合2位ローブとの差は5.4秒。依然、素晴らしい優勝戦いが続いているが流れはオジエに向いていた。そして、午後の再走ステージを迎えるにあたり、ふたりはディーニュ=レ=バンのタイヤフィテッィングゾーンで作業ブースが隣り合った。以前は同じチームでバチバチのライバル関係になり、それはまるで昔のF1におけるアイルトン・セナと、アラン・プロストのような緊張感が漂うものだった。しかし、その後別々のチームで戦うようになると、ふたりの関係は再び良くなり、相手をリスペクトする言葉が多く聞かれるようになった。そして今、長年の時を経て再び優勝争いをするふたりの間には、素晴らしい空気が流れていた。相手を尊敬し、戦いを愉しみ、しかし一歩も譲らない。そこには、正々堂々たるスポーツ本来の姿があった。

リピートステージに向けて、先に策を打ったのはローブだった。システロンの雪が残る4km程度の区間を、彼は雪道用のタイヤを履かず舗装路用のタイヤだけで走ることにしたのだ。そして、ローブが舗装路用タイヤのみを装着してステージに向かうシーンを、オジエは見逃さなかった。雪道、そして凍結区間を舗装路用タイヤだけで走るのは非常にリスキーだ。ベストタイムを刻んだロバンペラがそうしたように、舗装路用と雪道用を対角に履かせる「クロスオーバー」が正解であることは、オジエも理解していた。しかし、ローブがそのタイヤ選択で行くのならば、自分も同条件で走れば、少なくともタイヤによる優劣はつかず、技術の差がタイムに出る。オジエは、ローブと同じく舗装用タイヤを4輪に履き、真正面から戦う道を選んだのだ。結果的に、オジエはこのシステロンの再走ステージで、ロバンペラに次ぐ2番手タイムを記録。5番手タイムのローブよりも何と約16秒も速かった。雪道用タイヤを混ぜていれば、ロバンペラより速いタイムを出すことができた可能性もあるが、オジエは長年のライバルであり、リスペクトするローブとの勝負に勝ち、総合におけるリードを21.1秒に拡げた。最終日は走行距離が短く、その時点で誰もがオジエが通算9回目となるモンテカルロ優勝に王手をかけた、と思った。しかし、90回目の記念大会、モンテカルロの女神は最後の最後で波乱のストーリーを用意していた。

最終日の日曜日、オジエは最後から二番目のステージで今大会最大の遅れをとった。パンクにより、少なくとも30秒以上を失ってしまったのだ。結果的に首位を失い、ローブと9.5秒差の総合2位に。さらに、最終ステージではジャンプスタートによる10秒のペナルティも加算され、逆転はならず。ローブが2013年以来のモンテカルロ優勝を達成し、オジエは10.5秒差の総合2位でラリーを終えた。「とにかく、パンクしないようにと前のステージから注意して走っていた。それなのにパンクをしてしまったのだから、少し運がなかったのかもしれない。でも、僕がパンクをしたからローブが勝ったわけではない。彼は素晴らしい仕事をしたし、負けはしたけどバトルは本当に楽しかった。ローブと彼の新しいコ・ドライバーの勝利を祝福したい」とオジエ。最終ステージ直後に用意されたテレビ用表彰式では、僅かに悔しさを滲ませながらも、優勝したローブを讚える言動が多く見られた。全力を出し切って戦い抜いたベテランアスリートたちの姿はとても清々しく、尊かった。

ハイブリッドを搭載する新世代Rally1のデビュー戦で、ふたり合わせて85才のセブが優勝を争った今回のモンテカルロは、本当に興味深く、心躍る一戦だった。今までとは大きく異なるクルマを彼らベテランはすぐに乗りこなし、いい意味でニューカーであることを全く感じさせなかった。マイナートラブルはいくつかあったようだが、それがふたりの素晴らしいバトルに水を差すようなことはなく、最後は純粋な力と力のぶつかり合いで勝負が決まった。そういったハイレベルな戦いに堪えられるクルマを初戦までに仕上げた両陣営のエンジニアたちもまた、称賛されるべきだろう。今シーズン、限定出場となるふたりのセブが、次にどのラウンドで再び顔を合わせることになるのか、それともならないのか、現時点では分からない。しばらくは、この歴史に残るであろう戦いの余韻に浸り、次なるスウェーデンでの、新たなる雪上戦を楽しみに待つとしよう。

古賀敬介の近況

ラリー・モンテカルロの取材を終えて無事帰国し、今は羽田空港近くの政府指定ホテルで6日間の隔離生活を送っています。自宅を出てから今日で21日目、幸いにして今までのところ新型コロナ感染の兆候はありません。外に一歩も出ることができないのは辛いですが、三食出していただける食事は予想以上に美味しく、栄養バランスもとれたものなので身体はかなり休まっています。このような世界的に厳しい状況でも取材することができ、素晴らしいラリーに立ち合えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

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