レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

391LAP2025.07.16

「ヒュルケンベルグ、ついに表彰台!」

ニコ・ヒュルケンベルグ――F1界で「無冠の帝王」として長年その名を馳せてきた彼が、ついに栄光の瞬間を迎えました。デビューから15年、幾多の困難と試練を乗り越えた末に、キャリア初の表彰台を獲得したその瞬間は、まさに奇跡のようで、思わず感情移入してしまいました。

不遇の職人

ヒュルケンベルグが表彰台に立つ瞬間を、誰が予想できたでしょうか?

いや、予想できた人がいたなら、きっとその人は予知能力でも持っているのでしょう。彼は今年、戦闘力的では劣るキック・ザウバーF1からの参戦です。マシンの戦闘力が勝敗に強く影響するF1の世界で勝つには、彼のマシンは明らかに速さが不足しています。ですがイギリスグランプリで、類稀なる才能を披露し、見事3位に輝いたのです。これには泣かされました。

彼のキャリアはどこか、日常の隙間で見かける「なんとなく優秀な部下」のようでした。

2009年にF1デビューを果たしています。若干22歳でフォース・インディアに加入し、速さと冷静さを武器に早々に注目を集めましたが、上位チームからのオファーはありませんでした。

2010年のバーレーンGPでウィリアムズに移籍したものの、当時のウイリアムズはかつての栄光とはほど遠く、テールエンダーでした。

その後、フォース・インディア、ザウバー、ルノー、レーシング・ポイント(後のアストンマーティン)、ハースなど、さまざまなチームに移籍しています。

2012年のシーズンでは、彼の安定した成績と一貫したパフォーマンスが際立ちました。特に予選での強さが評価されましたが、なかなかトップチームに巡り合うことはなく、時には戦力外通告を経験しています。

これほど多くのチームからオファーがあるのですから、その実力は高く評価されていることに疑いはないのですが、それでもトップチームとの契約は得られていません。不思議ですよね。

大ベテランの奮闘

ヒュルケンベルグは、1987年8月19日にドイツ・エメリッヒ・アム・ラインで生まれました。2025年7月現在、彼は37歳です。

2025年シーズンからは、キック・ザウバーに所属したのですが、テールエンダーであることに疑いはありませんでした。自身初の表彰台に輝いたイギリスグランプリでも、予選は19位に沈んでいます。最後尾からの躍進なのです。

現在、ヒュルケンベルグはF1キャリアの中で、ポールポジション1回、ファステスト・ラップ2回、表彰台は今回の1回、通算ポイント608点を記録しています。また、2025年シーズンでは、12戦で37ポイントを獲得し、ドライバーズランキング9位に位置しています。

イギリスGPでキャリア239戦目にして初の表彰台を獲得しましたが、この記録は、F1史上最も遅い表彰台未獲得記録を更新するものだそうです。彼の粘り強さと努力の証と言えるでしょう。

燻銀のドライビングスタイル

もちろん、レースですから運不運が勝敗に影響します。彼にとってのイギリスグランプリが幸運だったのは、いかにもイギリスらしく天候が不順だったことでしょう。

スタート時には小雨が降っており、ほとんどのマシンがカットスリックタイヤを選択しました。しかし途中で雨が強くなり、ウェットタイヤに交換したマシンも現れました。後半は路面がドライになり、スリックタイヤでの勝負に転じました。

トップランカーの・マックス・フェルスタッペンやシャルル・ルクレールといった強豪がスピンにより順位を明渡しています。これも幸運の一つかもしれませんが、そんな最悪のコンディションの中で安定しては走り切ったわけですから、それも実力なのです。

このようにコンディションがコロコロ変わったことで、実質最後尾スタートを強いられたヒュルケンベルグにチャンスが芽生えたのですが、レースの終盤、ヒュルケンベルグの初の表彰台を脅かすマシンが迫っていました。これまで7度の世界王者に輝いたルイス・ハミルトンです。

最後は名だたるライバルたちを何度も振り切る。それは、マシンの性能というよりも、彼の冷静さと確かな技術によるものでしょう。絶対に諦めないという彼の精神力が、ついに実を結んだのですと思えましたね。

あきらめない闘争心

ヒュルケンベルグの経歴には、どこか胸が熱くなるものがあります。彼がF1に登場したのは、2009年のことであり、その後もひたすらにシートを求め、降り注ぐスポットライトの中で存在感を放つことなく、「あれ? ヒュルケンベルグ、どこ行った?」なんて思わせる瞬間が続いていました。しかし、彼の名は「沈黙の雄」――静かな努力家として確かに業界内では知られていたのです。彼が絶え間ない努力を続ける姿勢は、チームの中で目立たない陰の立役者として評価されていました。

表彰台に立つという目標は、おそらく彼にとって「大きな目標」ではなく、むしろ「果てしない目標」として感じていたことでしょう。だって、そこに立っているのはいつも、スーパースターたち――ハミルトン、フェルスタッペン、ライコネン。彼らに囲まれていると、自分が目立たないことが「普通」と思えてしまう。そんな場所で、ニコ・ヒュルケンベルグが、ついに栄光を掴んだのですから賞賛されて然るべきですね。

僕はテレビ観戦していて、胸がジーンと熱くなりました。けして若くない彼が表彰台に立つ姿は、多くの感動を呼んだに違いありません。

彼のレーススタイルには、どこか日本の「職人精神」のようなものが息づいているように感じました。無駄な動きをしない、余計なことをしない、全てが計算され尽くされている。まさに、職人の手さばきのような、完璧に見える走行術。彼のマシンの挙動は、観察する人々を惹きつけ、彼が如何にしてこの瞬間を作り上げたかを物語っていたのでしょう。

最近のモータースポーツは、チーム間の無線が公開されていることもあり、ドライバーの感情が露わになります。悪態をついたり、ライバルを陥れようとしたり、スポーツマンらしくない不快な言動も目立ちますが、ヒュルケンベルグからそんな稚拙な言動を聞いたことはありません。紳士なのです。

ヒュルケンベルグが表彰台に立ったその瞬間、それは終着点ではありませんでした。むしろ、彼のキャリアにおける新たなスタートラインとも言える瞬間でした。表彰台に上がったことは、彼にとって目標の達成ではなく、さらなる挑戦の始まりだったからです。

彼が所属するキック・ザウバーは来年、アウディチームに変貌します。アウディの戦闘力は未知数ですが、ワークスに昇格することで、資金的にも技術的にも期待できるのです。そのチームのエースとしての契約が、すでに結ばれています。さらに戦闘力の際立つマシンを手にする可能性があるのですから、彼がF1で優勝を果たす可能性は高いと思えますね。

ヒュルケンベルグ――。その名は、これからもっと多くの人々の記憶に刻まれることでしょう。そして、彼が表彰台に立ったその瞬間は、彼にとっても、F1ファンにとっても、まさに「奇跡の一滴」のようなものだったのでしょう。

ベテランの時代

F1のヒュルケンベルグと比較するのも口はばったいのですが、今年僕は4年ぶりにニュルブルクリンク耐久レースでクラス優勝を果たしました。

すでに年齢は65歳ですから、なかなかの成績だと自負しています。それとどこかヒュルケンベルグの活躍を重ね合わせてしまいましたね。

あるいはいま封切り中の映画「F1」の主人公と・・・。ネタバレになりますからあらすじは伏せることにしますが、どこか・・・。

ありがとう、ニコ・ヒルケンベルグ。あなたの走りを見て、私たちは多くのことを学びました。

キノシタの近況

KYOJOにフォーミュラとヴィータ走らせているミハラレーシングの、スポーティング・ディレクターを拝命しました。女性のみのレースですから僕がステアリングを握ることはできないのですが、プロデューサーとして頑張ります。ミハラレーシングの応援をよろしくお願いします。

OFFICIAL SNS

国内外の様々なモータースポーツへの挑戦やGRシリーズの情報、イベント情報など、TOYOTA GAZOO Racingの様々な活動を配信します。

GR GARAGE

GR Garageは、幅広いお客様にクルマの楽しさを広めるTOYOTA GAZOO Racingの地域拠点です。

OFFICIAL GOODS

ウエアやキャップなどチーム公式グッズも好評販売中。