モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY14 - リスク覚悟のフルアタックでオジエはモンテの王に返り咲いた

リスク覚悟のフルアタックで
オジエはモンテの王に返り咲いた

WRCな日々 DAY14 2021.2.1

初開催から110周年。メモリアルな大会となった今年のラリー・モンテカルロに、誰よりも熱い想いを持って臨んだドライバーがいる。セバスチャン・オジエである。2014年から2019年にかけて、6年連続でモンテカルロを制してきた。しかし、TOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamに加入し、その最初の1戦となった2020年大会では、ライバルであるティエリー・ヌービルとの大接戦の末、総合2位に甘んじた。それだけに「今回は何としてでも勝ちたいんだ」と、オジエはラリーが始まる前から明言していた。

昨年は、チーム移籍1年目の初戦だった。実に器用なドライバーである。過去、初めて戦いを共にするクルマをすぐに乗りこなし、移籍後1戦目のモンテカルロで勝ってきた。新しいチームに移籍した2019年大会もそうだったが、しかしその年6年間守り続けてきたドライバーズタイトルを失った。故に、2020年の最優先課題はタイトルを取り戻すこと。シーズン全体を見据えた戦いを貫き、例えひとつのラリーで負けたとしても、コースオフによるリタイアで全てを失うようなリスクはとらないという、堅実な戦いに徹した。そのクレバーなアプローチは、オジエにとってのホームイベントであるモンテカルロでも貫かれ、リスキーなフルアタックを封印。その結果モンテカルロでの連勝記録は「6」で途絶えたが、オィット・タナック(当時トヨタ)に「貸し出し」ていたタイトルを取り返すことには成功した。

しかし今年、オジエはタイトル連覇を当然目指しながらも、モンテカルロを全力で攻め抜く覚悟を決めていた。様々な想いがあったと想像できる。生まれ育ったフランス南部のギャップをサービスパークとする大会は、今回が最後になるという話が以前から語られていた。また、過去「愛馬」となった3メーカーのラリーカーをモンテカルロ優勝に導いてきたが、ヤリスWRCにはまだその栄誉をもたらせていない。そして、新型コロナウイルスの影響により無観客大会となり、コースサイドで応援する機会を失った多くのファンと、画面や音声を通してではあっても優勝の喜びを共有したいという気持ちもあったようだ。

それでも、クルマを100%信じられなければモンテカルロの道を攻めきることはできない。昨年のオジエはまさにそうだった。出会って間もないヤリスWRCを理解することに努め、時々慎重なドライビングも見られた。しかし、その後ラリーを重ね、セッティングの最適化が進んだことで人馬一体感が格段に高まり「ここはモンテカルロか?」と思うほどトリッキーなコンディションだった最終戦のラリー・モンツァでは、自信に満ちた走りで優勝を勝ち取り、1年ぶりにタイトルを取り戻した。その時点でオジエは、ヤリスWRCをほぼ完全に自分のモノにしていた。

それだけに、今年のモンテカルロでも彼が優勝争いに加わるのはまず間違いないと思われたが、ひとつだけ不安要素があった。タイヤが、昨年まで使われてきたミシュラン製からピレリ製に替わったことだ。新しいシューズを履いての初戦というだけでも不確定要素の塊であるが、加えてオジエはそのピレリタイヤを装着しての直前テストで大クラッシュを喫してしまっていた。幸いにしてオジエは無事、コ・ドライバーのジュリアン・イングラシアも軽傷で済んだが、タイヤを理解し、セッティングを決める貴重な時間が失われた。「不安があるとしたら、それはターマック(舗装路)用のタイヤで10km程度しか走れなかったことだ」と、スタートを前にオジエは準備が万全ではないことを認めていた。そして、今年のラリー・モンテカルロは、そのターマック用タイヤを装着してのヘビーウェットステージで幕を明けた。

例年、ラリー・モンテカルロはモナコでのセレモニアルスタート後、夜のフレンチアルプスで最初のステージが行われる。しかし、新型コロナウイルスの蔓延により夕方6時以降の夜間外出禁止令がフランス全土に発令されたことで、今年のラリー初日は昼間に2本のステージが行われた。そして、その2本のステージでオジエは4番手、5番手のタイムに留まり、初日は首位タナックと16.9秒差の総合5位に甘んじた。優勝を目指すオジエにとっては最悪のスタートになったが、その理由はブレーキの不具合である。詳細については語られなかったが、単純に機械のトラブルではなく、最適な状態への持っていきかたにも問題があったようだ。いずれにせよ、オジエは理想的な減速ができない状況で初日の2本のステージを走り終えた。

しかし、そこからがオジエの面目躍如だった。ラリー2日目デイ2は、午前6時10分スタート。「夜間」ではないが日の出前なので辺りは暗く、朝のナイトステージといった趣だった。オープニングのSS3はウェット、解けた雪、そしてアイスバーンと、まさにモンテカルロの難しさを詰め合わせたようなトリッキーな路面だったが、その最初の難所でオジエはベストタイムを刻み3位に浮上、反撃に転じた。そして、続くSS4も最速タイムで駆け抜けたオジエは早くも首位に。さらにSS5でもベストタイムを記録し、チームメイトである総合2位のエルフィン・エバンスに11.3秒の差を築いた。

ここまでオジエにばかりフォーカスしてきたが、もちろんエバンスも優勝候補のひとりだった。昨年のモンテカルロでは終盤までオジエと共に優勝争いに加わり、総合3位でフィニッシュ。その後ラリー・スウェーデンとラリー・トルコで優勝し、ドライバー選手権をリードして臨んだ最終戦のモンツァでは、コースオフを喫するまでオジエに迫る速さを見せた。そのエバンスはSS6でベストタイムを刻み、首位に立った。エバンスもまた、トリッキーなコンディションを得意とするドライバーである。刻々と変化する路面のグリップを読み、それにドライビングをアジャストする能力に長けている。そして、もちろんエバンスも優勝を狙っていた。

一方、オジエはSS6でパンクを喫し、左前輪からタイヤが完全に外れ落ちた状態でステージを走破。エバンスから34.7秒遅れの12番手タイムに終わり、総合3位に順位を落とした。その時点で首位エバンスとのタイム差は23.4秒と、少なくない遅れをとった。しかし、デイ2最終のSS7でオジエは4本目のベストタイムを刻み、エバンスと7.4秒差の総合2位に順位を上げた。この、遅れをとった直後の挽回の迅速さが、今年のモンテカルロでのオジエの強さを強く印象づけた。

その切り替えの早さに関して、新たにチーム代表に就任したヤリ-マティ・ラトバラの分析は実に分かりやすく、説得力がある。「彼を知っている人なら分かると思うけど、パンクを喫して彼は怒っていたと思う。でも、セブにはその怒りを前向きなエネルギーに変える力があるんだ」とラトバラ新代表。オジエとは、フォルクスワーゲン時代にチームメイトとして戦い、その強さを誰よりも知っている。チームメイトとしては手強い相手だったに違いないが、チーム代表と選手という関係においては彼以上に心強い男はいないはずだ。

オジエの「反撃」は、やはり暗闇の中始まったデイ3最初のSS9でも続き、2番手タイムを刻んだエバンスより17.8秒も速いベストタイムで総合順位を逆転。首位に返り咲いた。しかし、またしても好調オジエに試練が訪れた。SS10でトップタイムのヌービルから42.2秒も遅れてしまったのだ。特に何か大きなミスをしたわけではない。単純に、路面コンディションが急激に悪くなっていったのだ。前日総合2位につけたオジエは出走順が後方だったが、このステージに関してはクルマが走れば走るほどアイスバーンがタイヤで磨かれてツルツルになり、スラッシュと呼ばれる半解けの雪は気温上昇でさらに緩むなど、全体的に路面が非常に滑りやすくなっていったのだ。そのため、オジエの後方からスタートしたエバンスはオジエよりもさらに1.6秒遅かったが、両者ともその前のステージまでに1分以上の大量リードを、総合3位のカッレ・ロバンペラに築いていたため、順位に変動はなかった。

この時点で既に優勝争いはオジエとエバンスのふたりに絞られており、それにロバンペラが続く展開に。エバンスはデイ3最終のSS11でベストタイムを刻んだが、オジエも僅差の2番手タイムで応戦し、両者は13秒差で最終日の基点となるモナコへと向かった。昨年はエバンスが首位、それを4.9秒差で2位オジエが追う展開で最終日を迎えたが、最後にヌービルに逆転を許し、オジエは総合2位、エバンスは総合3位に終わった。しかし、今年はふたりの勝負を阻むライバルはいない。総合3位につけるロバンペラは56.8秒差、昨年の覇者4位ヌービルは1分3秒8差と、自力での優勝はまず不可能といえる状況だった。

最終日も、オジエはまったく容赦なかった。デイ4最初のステージをエバンスより8秒も速いベストタイムで走り抜け、差を21秒に拡大。ステージはあと3本残っていたが、エバンスはこの最初のステージで、今回オジエを打ち負かすことは不可能だと悟ったようだ。オジエを相手に、3ステージで21秒差を挽回するためにはハイリスクなアタックを敢行する必要があるし、それすら通用しないのではないかと思うくらいの、ケタ違いのスピードをオジエは備えていた。昨年の最終戦モンツァでは、コースオフでオジエとの勝負に敗れ、掴みかけていたタイトルを失った。今年、エバンスが最優先するのは初のドライバーズタイトル獲得であり、そのためにも確実に高ポイントを獲得し続ける必要がある。開幕戦で、優勝のために全てを失うのは得策ではない。昨年のオジエと同じように、エバンスはクレバーであることを選んだ。

一方、オジエはドライビングを愉しんでいた。ピレリタイヤに対する理解も深まり、自信を持ってドライビングできる上、リスクを負わない走りでも良いタイムが出る。そうなった時のオジエに敵はいない。もはや限界で攻める必要はないが、愉しく走ればベストタイムが出るという好循環。オジエはSS14、そしてボーナスポイントがかかる最終のパワーステージでもベストタイムを記録し、パーフェクトな形でWRCラリー・モンテカルロ7勝目、WRCではなくIRCとして開催された2009年大会を含めれば8回目の優勝を、WRC通算50勝という記念すべきナンバーと共に達成した。WRCモンテカルロの最多勝は、一昨年までオジエが6勝でセバスチャン・ローブと並び1位だったが、これで単独1位となり、オジエは真の「モンテマイスター」となった。

今回、オジエは走りにもアプローチにも一切の迷いが感じられなかった。クルマの姿勢は週末を通してとても安定しており、完全に自信を持って走っているためか変なブレもない。加えて「何があっても攻めきる」というリスク承知の覇気が、クルマの挙動を堂々たるものにしていた。対するエバンスは、本人も認めているようにオジエほどは限界まで攻めきれていなかった。その差がふたりの勝負を分けたといえるが、だからといってエバンスが遅かったわけではない。オジエがいなければ圧勝だったし、より余裕を持って走ることができたに違いない。しかし、エバンスは昨年から今年にかけて、オジエと同じクルマ、同じ条件で戦うことによって、ドライバーとして能力がさらに底上げされたといえる。

パワーステージを走り終えたオジエは「クルマは素晴らしく、本当に楽しい週末だった。とても嬉しいし泣きそうだよ。引退を1年先延ばししたのは正しい判断だった。最高のチーム全員に感謝したい」と感極まった声で喜びを語り、こう付け加えた。「優勝でボスを迎えることができて嬉しいよ」と。ボスとはもちろんラトバラ代表のことである。選手時代はオジエがラトバラを成績で圧倒していたこともあり、ふたりがボスと選手の関係となって上手く行くのかどうかを懸念する声もあった。しかし、オジエは以前から「人」としてのラトバラを尊敬しており、彼がチーム代表として良い仕事をすることを確信していたという。優勝直後に「ボス」に送ったメッセージには、そんなオジエの敬愛の気持ちが込められていたように感じた。

かくしてオジエは2年ぶりにモンテカルロを制し、エバンスは総合2位、ロバンペラは総合4位、そしてTGR WRCチャレンジプログラムから出場の勝田貴元は総合6位と、トヨタの4人は全員が完走を果たし昨年よりも上の順位でフィニッシュした。その感動的なシーンをこの目で見、写真におさめたかったが、コロナの感染が昨年よりさらに悪化している状況だけに、今回も現地で取材をすることはできなかった。また、EUは日本からの渡航を再び原則受け入れないことを決めたため、しばらく渡欧はできないだろう。日本でのリモート取材を続けるしかなさそうだが、WRCがこのまま順調に開催され続けること、そして現地でラリーに携わっている全ての人が健康であることを願っている。僕も、日本でできる限りの情報を集め、皆さんにWRCの魅力をお伝えすることに全力を尽くす次第である。

古賀敬介の近況

昨年の最終戦モンツァから約1ヶ月、早くも2021年シーズンが始まりました。何だかシーズンオフがなかったような感じがしますが、無事に開幕戦ラリー・モンテカルロが開催されて何よりです。ラリー・モンテカルロには僕もほぼ毎年取材に行っていましたが、今年は断念。何と、ステージの下見で雪道を走っている夢を見ました。それくらい恋しくて、恋しくて。せめて気分だけはと思い、昔モナコで買ったラリーのジャケットを着て近所の公園を散歩しました。違う、そうじゃない(笑)。もうしばらく我慢の日々が続きそうですが、取材解禁の日に向けて栄養を溜め込む、ではなく英気を養いたいと思います。さあ、今晩はニース風サラダでも作って南仏気分に浸るとしましょうか。