モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • さよなら、ビースト。

さよなら、ビースト。

WRCな日々 DAY25 2021.12.2

「最後の1枚」は後ろ姿にしようと決めていた。ラストダンスの舞台はイタリア、モンツァ。1997年に始まったWRカーの時代、5シーズンを駆け抜けたヤリスWRC、栄冠を懸けたセバスチャン・オジエの戦い、そのオジエを支え続けたジュリアン・イングラシアの冒険。すべてがモンツァで終わる。WRカーの時代を駆け抜けたオジエが駆る、ヤリスWRCのバックショットこそ、この素晴らしき時代の最後を飾るに相応しい1枚だと考えたのだ。

今シーズン終盤の数戦、オジエの走りは少し勢いがなかった。少なくとも、自分にはそう見えた。彼が最後に表彰台に立ったのは第9戦アクロポリス(ギリシア)で、続くフィンランドでは一度もベストタイムを記録しなかった。そして前戦スペインでは、2本のベストタイムを刻むも、最終日にライバルとの表彰台争いに敗れ、総合4位でラリーを終えた。もちろん、それがドライバーズタイトル争いを最優先したリスクヘッジの戦い方であること、出走順による少なくないハンデがあったことは理解している。それでもなお、オジエの「ここ一番」の圧倒的なスピードをデビュー時から見てきた自分としては、表彰台に手が届かぬ世界王者の走りを目にするのは少々寂しかった。WRC最速のドライバーとして、フル参戦最後のシーズンを戦い終えてほしいという気持ちが、心の中で燻っていた。

その一方で「きっと最終戦のモンツァでは勝負に出るだろう」という、確信的な思いもあった。自分が知るオジエは冷静なドライビングマシーンであるのと同時に、非常にエモーショナルな人間でもある。抑え切れない感情が、クールなシェルを突き破って発露するシーンをこれまで何度も見てきた。「この一戦では絶対に勝つ」と覚悟を決めた時、オジエは爆発的ともいえる速さを発揮し、その時の走りはファインダー越しに見ていても、背中がゾクゾクするくらいの勢いがあった。そして今回、北イタリアのアルプスへと続く峠道で、久々にオジエの鬼気迫る走りを目の当たりにし、シャッターを押しながら思わず「ウワッ」と声が漏れ出た。それくらい、オジエの走りは見た目に速く、朝の4本の峠ステージで3本のベストタイムを刻むなど、ステージタイムもずば抜けていた。

峠の頂点にあるヘアピンコーナー。緩い上りのブレーキングでオジエは誰よりも短く減速を終え、下りに移行するコーナーの立ち上がりではややアグレッシブに間髪入れずアクセルを開けた。ヤリスWRCは若干のスライドを伴いながらコーナーのアウト側に向けて猛加速。30cm程度しかない未舗装の路肩にアウト側のタイヤが落ちてもなおアクセルを緩めず、金属製のポールぎりぎりをかすめながら、次のコーナーに向けてステアリングを切り込んだ。単にスムーズなだけではない、気持ちの入った「ひと踏み」によって、クルマが持つポテンシャルをフルに発揮させるドライビングこそオジエの全盛期の走り。そして自分の目の前を鮮やかに駆け抜けていったオジエは、ヤリスWRCというビーストを完全に乗りこなしていた。「セブの最高の走りをまた見ることができたぞ」と嬉しくなり、思わず声を出して笑ってしまった。

「今回のモンツァは事前のテストも上手く行き、自信を持って乗れるクルマに仕上がっていた。そう感じられる時は、大きなリスクを負わなくても限界ぎりぎりで走れるものなんだ。僕の走りがいつも以上にアグレッシブに見えたとしたら、それはクルマに対して大きな自信があったからだと思うよ」

ラリー終了後、峠道で見た走りの印象をオジエに伝えると、彼は笑顔でそう答えた。確かにクルマの仕上がりは良かったに違いない。そして、彼の「ホームイベント」であり過去7勝をあげているWRCラリー・モンテカルロと、やや似たキャラクターのステージであったこともプラスに作用したと思う。しかし、イタリアの峠道での走りにはそれ以上の熱い何かを感じた。タイトルの獲得だけでなく、優勝でヤリスWRC、そして苦楽を共にしてきたイングラシアの花道を飾りたいという特別な気持ちが、走りにも現れていた。仮にタイトルを争う僚友エルフィン・エバンスが優勝し、ボーナスポイントを獲得可能なパワーステージを制したとしても、オジエは総合3位にさえ入れば通算8回目のドライバーズタイトルを獲得することができる。オジエのターマックでの実力を考えれば、決して無理をする必要はない。ここ数戦のようにやや保守的な戦いをしたとしても、チャンピオンにはなれたはずだ。

しかし、オジエはそうしなかった。「エルフィンだけでなく、ライバルのヒュンダイ勢も速かったから、ペースを緩めることができなかったんだ」とオジエはその理由を述べたが、それだけではなかったはずだ。競技2日目、オジエとエバンスによる首位攻防戦はWRCの歴史に残るであろうし烈な戦いとなり、1ステージごとに首位の座が入れ替わる激戦が続いた。エバンスにとっては、勝たなければ道は開けぬという背水の陣。素晴らしい集中力と、オジエにも負けぬ極限のアタックで一歩も引かない。一方、オジエもリスクヘッジなど忘れたと言わんばかりのフルアタック。タイトルのためには表彰台にさえ立てばいいという、戦略的な思惑は微塵も感じられなかった。

激戦が続いた土曜日、デイ2を終え首位オジエと総合2位エバンスの差は0.5秒。この時点で総合3位のダニ・ソルド(ヒュンダイ)は約27秒後方に留まり、ふたりの勝負に影響を及ぼす存在ではなかった。そうであれば、優勝を僚友に譲り総合2位でタイトルを確実に獲得するという選択肢も選ぶことができたはずだ。しかし、オジエは最終日のデイ3も攻めの姿勢を貫いた。デイ3のステージはすべてサーキット内。F1も開催されるグランプリコースと、古のオーバルコースが組み合わさったオープニングのSS14で、オジエは週末初めてといえる大きなミスを冒した。ひび割れたバンクに、減速のためのシケイン代わりに置かれたコンクリート製のブロック。そこをすり抜ける際、オジエは右前輪の側面をブロックに当ててしまったのだ。昨年のこのラリーでも、何人かのドライバーがブロックに当たり、パンクやサスペンション破損に見舞われた。インカー映像に、コクピット内のモニターに表示されるタイヤの空気圧をチラチラと見るオジエの少し不安そうな表情が映し出された。しかし、アクセルはまったく緩めない。中間地点のスプリットタイムは2番手。先にスタートしたエバンスより0.5秒速い。そして、バンクのすぐ脇に立っていた僕のすぐ横を、オジエはジェット機のように一瞬で通過し、朝霧の中に消えていった。

このステージ、オジエとエバンスは完全な同タイムとなり、ふたりの0.5秒という差に変化はなかった。タイヤのサイドウォールとホイールのリムを傷つけながら辛くもパンクを免れたオジエは、さすがに笑顔を見せる余裕はなかったが、最悪の事態をギリギリで回避し、エバンスに対する僅かなアドバンテージを守った。既に、ふたりの戦いは完全に危険水域に入っていた。勝負に口を出すことなくただ見守り続けたヤリ-マティ・ラトバラ チーム代表、そしてチームの人々は一体どのような気持ちなのだろうかと、案じてしまった。やはりタイトルの獲得が懸かるマニュファクチャラー選手権に関しては、サポートの役目に徹しているカッレ・ロバンペラが素晴らしい仕事を続けているから、取りこぼすことはまずないだろう。それでも、もはや神経戦の領域に入っているオジエとエバンスの張りつめたテンションが、最後まで保たれるとは到底思えなかった。どちらも、限界をとっくに超えていた。

ファイナルステージは走りを撮影せず、勝者をポディウムで待つことにした。そのため、僕にとっては最後の撮影チャンスとなる、最後から2番目のSS15で、グラベルのコーナーを立ち上がりバンクの最上段まで一気に駆け上がるWRカーの後ろ姿を狙うことにした。本気で戦うWRカーの姿を見るのは、これが最後なのかと、不思議な気持ちになった。市販車の延長線上にあったグループAカーの時代から、よりピュアな競技車であるWRカー時代にシフトしたのは1997年。これほど長くWRカーの時代が続くとは思わなかった。そして2017年、WRカーという呼び名はそのままに、クルマはさらに空力性能と運動性能が高められ、ヤリスWRCがこの世に現れた。想像の斜め上を行く大胆なエアロダイナミクスをまとったそのエクステリアを、フランスの開発テストの現場で初めて見た時の衝撃は今でも忘れられない。そして、その時から攻撃的なリヤビューに心惹かれていた。もう、WRCの現場でこのどう猛な後ろ姿を見ることはないのかと、感傷的な気持ちでシャッターを押していた時、遠くで力強く鳴り響いていたエンジン音が途切れ、一瞬の静寂が訪れた。エバンスだった。

「ブレーキをロックさせてしまってクルマを曲げることができず、藁の塊に突っ込んでエンジンがストールした。さらに、その後にもストールをしてしまった」と、ステージをフィニッシュしたエバンスは淡々と自分が冒したミスについて説明した。僕が耳にしたのは、どうやら2回目のエンジンストールだったようだ。エバンスは大きくタイムを失い、オジエとのタイム差は一気に7.6秒に。彼のタイトルチャレンジは、最終ステージを前に事実上終わった。その後、最後のステージを無難に走り終えたエバンスは、昨年に続きオジエに続くドライバー選手権2位でシリーズをフィニッシュ。またしてもタイトルには届かなかったが、シーズン終盤の数戦で見せた速さと強さ、そしてモンツァでのオジエとの歴史に残るであろう頂上バトルは、彼が次のシーズンの有力なチャンピオン候補であることを強く印象づけた。シーズンの中盤にはややスランプ時期もあったが、それを乗り越えより強いドライバーに進化したといえる。2回の優勝を含む年間7回のポディウムフィニッシュ、そしてその全てが2位以上であるという事実は、彼がいかに確実性の高いドライバーであるかを表わすもの。オジエというこれ以上はない手強い身内と2シーズン戦い続けたことによって、エバンスは真のトップドライバーに成長したのだ。

勝機を失ったエバンス駆るヤリスWRCのやや力ない後ろ姿をバンクで見送り、次なるランナー、オジエを待った。ひとつ前のステージのミスもあるので、やや保守的な走りになるであろうことは十分に想像できた。もしかしたら、オジエはこのステージを本気で攻めないかもしれないという予想は半分当たり、彼のタイムは4番手だった。しかし、僕がカメラを構えていたバンクではアクセルを踏み切り、ダートを激しくまき散らしながら軽くカウンターステアを当て、バンク最上段のガードレールに当たるぎりぎりまで大きな弧のコーナリングラインを描き、あっという間に姿を消した。僕は夢中でシャッターを押し、ヤリスWRCの後ろ姿が完全に見えなくなってもシャッターから指を離すことができなかった。「最後に素晴らしい走りを見せてくれてありがとうセブ、そしてジュリアン」と、感謝の気持ちが湧き上がった。姿が見えなくなってもなお、ヤリスWRC の荒々しい咆哮は朽ち果てたモンツァのバンクにしばらく響いていた。

通算8回目のタイトル獲得。シーズンフル参戦が最後になるであろうオジエにとっては恐らく最後の、そして今大会をもってコ・ドライバーを引退することを公言していたイングラシアにとっては、確実に最後となる戴冠劇だった。オジエについては、タイトルを獲得した喜び以上に、ほっとしたような穏やかな表情が印象的だったが、イングラシアはいつも以上にエモーショナルで、ポディウムはまるでロックスターのラストコンサートのように華々しかった。いかなる時でも明るく、ポジティブなイングラシアは、過去に在籍したどのチームでも最高のムードメーカーだった。それだけにチームメイト、ライバルを問わず彼を慕う者は多く、皆がその引退を惜しんだ。もちろん、誰よりもそう感じていたのはオジエに違いないし、何としてでも優勝とタイトル獲得というふたつの花束をイングラシアに渡したかったのだろう。コ・ドライバーとしての能力はいささかも低下しておらず、あまりにも早すぎる引退に思えてならなかったが、それでも最高の形で表舞台を後にできるのは、アスリートとしてこの上ない幸せに違いない。

オジエとの勝負に敗れたエバンスは「もちろん、悔しくないわけはない」と言いながらも、すべてを出し切ったという気持ちからか表情は清々しかった。最終ステージを走り終えた時、彼はロバンペラに対する感謝の言葉を最後に述べた。「カッレは自分の週末を犠牲にして、僕とセブが戦える機会を提供してくれたんだ。本当に感謝している」と。表彰台争いをできる実力を持ちながらも、ロバンペラは今回完全に黒子に徹した。そして、彼がフィニッシュし総合9位以上の成績が決まった瞬間、TOYOTA GAZOO Racing WRTは2018年以来となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、若きロバンペラは課せられた重要な任務をきっちりと完遂したのだった。

マニュファクチャラーズタイトルを含む、トリプルクラウンを祝うポディウムにはチーム関係者全員が終結し、みな笑顔でとても良い雰囲気だった。そこには、最終のパワーステージで今大会2番手を獲得した、WRCチャレンジプログラムの勝田貴元の姿もあった。勝田は最終ステージの1本前でドライビングミスによりサスペンションを破損。しかし、チームは短時間でそれを直して勝田を直後のパワーステージに送り出し、そして獲得した2番手タイムだった。ある意味、冒したミス以上に得たもののほうが大きかった2021年最後のステージだった。そういえば、昨年勝田はパワーステージでWRC初のベストタイムを刻み、今年に繋がる良い流れを作り出したんだなと思い出した。きっと、2022年の勝田は今年以上に活躍をしてくれるに違いない。

歓喜のポディウムはやがて自然解散となり、モンツァは静けさを取り戻した。戦いを終えパルクフェルメに並べられたWRカーの姿をぼんやりと眺めながら、「このクルマたちがワークスカーとしてWRCを戦うことはもうないのか……」と、喪失感にかられた。ヤリスWRC、i20クーペWRC、フィエスタWRC。どれも素晴らしい個性を持ったいいクルマだった。軽くて、パワフルで、カッコ良くて、そして安全で。WRカーは本当に魅力溢れるクルマだったんだなと、改めて思った。次なるRally 1カーもきっと素晴らしいクルマになるだろうし、ハイブリッドパワーがどのような威力を発揮するのか、非常に楽しみでもある。しかし、ただ速く走ることだけに特化して作られた、WRカーのピュアな走りはもう見ることができないのだ。「さよなら、ビースト」と心の中で別れを告げ、僕は晩秋のモンツァを後にした。

古賀敬介の近況

ありがたいことにWRCの終盤3戦を取材することができ、モンツァでは本当に素晴らしいタイトル争いをこの目で見ることができました。間違いなく、WRCの歴史に残るビッグファイトだったと思います。新型コロナを巡り世界情勢は再び厳しくなりつつありますが、2022年のWRC開幕戦モンテカルロが何とか開催され、新世代のRally 1カーが記念すべき第一歩を踏み出せることを願っています。皆さんもどうかご安全に、良き年末年始をお過ごしください。

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