- /li>
20年ぶりに取材したサファリ・ラリー
そのあまりにも刺激的な日々について
WRCな日々 DAY32 2022.7.15
帰国してから2週間以上経つというのに、未だに夢を見る。ケニア、サファリ・ラリーの夢をだ。そして、明け方自分のベッドで目を覚ますと、決まって淡い寂寥感を覚える。それは、例えるならば祭りの後のような寂しさ。それくらい、ケニアで過ごした一週間は刺激に富み、色彩豊かで、感情を強く揺さぶられた日々だった。
20年ぶりに取材で訪れたサファリ・ラリーでは、トヨタ29年ぶりの1-2-3-4フィニッシュ達成という、歴史的な瞬間に立ち合うことができた。その背景にはエンジニアとドライバーによる膨大かつ濃厚なストーリーがあり、彼らがサファリ・ラリーに向けてGR YARIS Rally1 HYBRIDを鍛え上げていく過程を、WRCラリー・ポルトガル後に行なわれたテストの段階から見てきた。本来ならば今回のこのコラムでは彼らの挑戦について記すべきだろうが、悩みに悩んだ末、それはあえて別の機会に改めて書くことを決断した。なぜなら、この限られたスペースでサファリというラリーの魅力と、チーム&ドライバーの奮闘の両方を圧縮して記すのはあまりにも「もったいない」と思ったからだ。なので、今回は20年ぶりに訪れたケニアで、僕が見て、感じたことを紀行として書きたいと思う。
ケニア初日、ナイロビ空港近くのホテル、午前6時。寒さで目が覚めた。エアコンをつけたまま寝てしまったかと思ったが、スイッチはオフになっている。手もとの温度計を見ると室内の気温は10度。寝ぼけた頭で思い出す。首都ナイロビは赤道から150kmしか離れていないけど、標高は約1800mとかなり高地なんだっけ。1800mといえば高原地帯。「日本一高い場所にある」とされる、群馬県の万座温泉とほぼ同じ標高だ。同じ日、その群馬県の前橋は最低気温22度、最高気温は34度を記録していた。意外に思うかもしれないが、ナイロビは最も暑い2、3月頃でも平均最高気温は25度前後に留まる。ラリーウイークの6月は21度前後だ。だから、実はとても過ごしやすく、朝は寒さを感じる。
荷物をまとめ、長袖のジャケットをはおり、集合場所のロビーに降りると、現地コーディネーターのニッキーさんが待っていた。「おはようございます、よく寝られましたか?」と、実に流暢な日本語。政府の留学プログラムで高専、大学と日本で学び、日本で働いた後帰国し、今はナイロビで会社を経営しているという。とてもスマートで、心配りの素晴らしい人だ。通常、WRCを取材する際は自分でレンタカーを手配し、ひとりで行動するが、今回は日本人のメディア関係者ふたりとクルマをシェアし、コーディネーターとドライバーのあわせて5人で一週間を過ごすことにした。サファリ・ラリーでの単独取材は、主に安全上の理由から可能な限り避けたほうがいいとされている。また「地の利」などもあり、現地の人が一緒にいてくれると全てが円滑に進むし、自分ひとりで回るよりも、はるかに多くのことを見聞きすることができる。
全員が集まったところでクルマに向かうと、そこには「冒険号」が停っていた。冒険号とは僕が勝手につけた名前だが、その特別仕様のランドクルーザーは、本来国立公園や自然保護区で野生動物たちを見る「ゲームドライブ」のために設えられたもの。悪路走破性は抜群、天井も大きく開き、その上に登ることもできると、サファリ・ラリーの取材、撮影にはうってつけのクルマだった。これならば、どんな悪路でもスタックしないだろうし、もともと警察で要人警護をしていたというドライバーさんの運転技術、道に対する知識も頼りがいがある。おかげで、何の心配もなく悪路に突入し、道なき道もグイグイと進むことができた。
ラリーのスタートを前に、僕たちはステージの下見走行をした。いくつかあるステージのうち、特に楽しみしていたのは、勝田貴元選手が「あのステージはヤバいです。後半はフェシュフェシュが酷くて、僕も含めて何人もレッキでスタックしたほどですから」と教えてくれた「ケドング」のステージだった。全長約31kmのステージは、何と大統領の私有地内に展開し、豊かな自然に充ち満ちていた。広々とした草原地帯ではシマウマやインパラ、ガゼルといった野生動物が悠々と歩いていて、最初こそ珍しく写真を撮りまくったが、あまりにもそこら中にいるので、やがて犬や猫くらいにしか思えなくなっていった。
しかし、林の中から突然キリンが姿を現した時は、思わず「キリンさんだ!」と、動物園で初めてキリンを見た幼稚園児のように叫んでしまった。あえてキリンがいる場所を選んで走ったのではないのに、ごく普通にステージサイドで優雅に高い木の葉を食べていたのだ。我らの冒険号が近づいても急いで逃げることはなく「食事の邪魔をしないでよ」といった表情で一瞥し、ゆっくりと離れていった。そんな場所でラリーをやるのだ。そのための準備はかなり入念で、動物がコースサイドに近づこうとすると、レンジャーが走って近づき優しく追い払う。彼らケニアの人々にとって、野生動物は貴重な観光資源であり、友達でもある。スワヒリ語やアラビア語で「旅行」を意味するサファリは、かつて狩猟旅行のニュアンスが強かったが、現在ケニアで狩猟は基本的に法律で禁じられている。現代のサファリは動物を観察し、撮影し、愛でるためのツアーだ。もっとも、マサイ族の人々は20年ほど前まで「ライオンをひとりで仕留めてこそ一人前の戦士」という伝統に従っていたようだが、それは彼らにとって大事な牛を野獣から守るためという、大義があったからだとニッキーさんが教えてくれた。
キリンに遭遇した興奮も冷めやらぬまま、ステージをさらに進んで行くと、勝田選手が警戒していた「フェシュフェシュ」のエリアに差しかかった。フェシュフェシュは、そのかわいらしい響きとは異なり、非常にデンジャラスな路面だ。一般的に、目の細かい砂状の路面と記されることが多いが、実際には砂というよりも粉に近い。僕は、大好物であるわらび餅にたっぷりかかっている「きな粉」を思い出した。そのきな粉が、30〜50cmくらい堆積していて、どこに餅、ではなく岩が隠れているのか見つけることは不可能に近い。しかも、ラリーが始まる前から既に深い轍ができていて、車高が高い冒険号で走っても車体が大きく揺すられ、酷い乱気流の中に突入した旅客機のような状態となる。アクセルを思い切り開けているのにタイヤがきな粉で空転し、駆動が伝わらず冒険号は徐々に失速していく。また、フロントウインドウは大量のきな粉によって視界ほぼゼロ。ワイパー全開でも追いつかない。速度はせいぜい50km/h程度だったと思うが、えもいわれぬ恐怖感を覚えた。
路面が酷く荒れていて、フェシュフェシュでエンジンパワーが食われ、前は見えず、アクセルを緩めるとすぐに失速しスタックしそうになる。だから何も見えなくてもアクセルを開けていかなければならない。そして、フェシュフェシュの中には大きな岩が隠れているかもしれない……。とんでもない走行条件だ。サファリ専用車の冒険号で走っても大変なのに、乗用車ベースのラリーカーでこんな道をアタックする選手たちは本当に凄い! と素直に思った。昔のサファリに比べれば日数も距離も比較にならないくらい短くなったが、それでもサファリはサファリ。「その難しさは、昔と何も変わらないよ」と、かつてトヨタ、三菱、スバルといったワークスチームで要職を担い、現在はコメンテーターとして活躍する大ベテランのジョージ・ドナルドソンさんは断言する。「これで雨が降ると、さらに最悪になります」と勝田選手は笑っていたが、幸運にも僕らがコースを下見していた時に降雨はなかった。
実際にステージを走ってみて、やはりサファリ・ラリーは、ヨーロッパのグラベルラリーとは全く違うものだと思った。一般的に路面が荒れているとされるトルコ、アクロポリス(ギリシャ)、サルディニア(イタリア)といったラリーのステージは、レンタカーのコンパクトカーでも何とか走ることができる。速度さえ落とせば、大抵の凹凸はクリアできる自信はある。しかし、サファリではそうはいかない。実際、今回出場したラリーカーはみな車高を目一杯上げていたが、それでもまだ足りないという声が多く聞かれたし、スタックして身動きがとれなくなったクルマも多かった。昨年、他の多くのドライバーと同様サファリ初出場だったカッレ・ロバンペラは、轍が深いフェシュフェシュでスタック。脱出しようと車載ジャッキを使ったが、ジャッキの底部がどんどんフェシュフェシュの粉の中に沈んでいき、全く機能しなかったという。
ステージを走り終えた時は、自分が運転していなかったにも関わらず、大きな仕事をやり遂げたような気持ちになった。ステージの下見をしながらも、何というか、冒険をしているかのような気分だった。子供の頃に読んだ冒険小説、あるいはドキュメンタリー(風)探検テレビ番組を実体験しているように感じた。WRCの取材を始めて約30年、しかしサファリ・ラリーの取材はまだ2回目。2002年に初めて取材をした時もいたく感動したが、2回目でもその感動は褪せることはなく、むしろより深く、サファリ・ラリーの面白さ、素晴らしさ、難しさを感じることができた。
ラリーが始まる前の段階でも、これほど多くのインプットがあり、あまりの情報量の多さに、毎日頭の中が飽和状態になっていた。肉体的な疲労以上に、頭の中が疲れ切り、夜遅くホテルに戻ると心身ともにヘトヘトになっていた。ホテルは、ラリーの舞台となったナイバシャ最大の観光地であるナイバシャ湖のほとりにあり、広大な庭に点在するコテージは古いけれどとても清潔で、居心地が良かった。しかし「夜間は危ないので、ロビーからコテージまで絶対にひとりで歩かないでください。必ずセキュリティスタッフと一緒に移動してください」と、ホテルマンに念を押されていた。危ないといっても厳重なセキュリティのホテル、外部から不審者は入ってこられないはず。一体ナニが危険なのか……?
野生のカバである。暑い昼間はナイバシャ湖の水の中でじっとしているカバが、夜は上陸しそのあたりで草を食むのだ。そして、滅多にはないことだが、興奮して人を襲うこともあるのだという。噛まれたら……もちろんひとたまりもない。暗い夜道、カバを警戒しながら、ガードマンに守られてコテージに向かう。サファリ・ラリー取材は一日の最後まで実にスリリングだが、朝は平和的なお客さんがコテージの前で待っている。キリンさんだ。ステージサイドで見て思わず興奮したキリンが、ホテルの敷地内を普通に散歩している。別に、飼われているわけではない。ホテルのすぐ横は交通量の多い舗装路。緑に囲まれているとはいえ、キリンが悠々と歩いているのには驚いた。そして、キリンに会った感動の余韻に浸りながらテラスで朝食をいただいていたら、シッポが長いサルにパンを盗まれた。朝から刺激が多すぎである。
ラリーそのものの話からだいぶ逸れてしまったが、今回は紀行だ。許していただきたい。書きたいことは他にも山のようにあり、とてもではないが全てをここで記すことはできない。が、最後に「ケニアの人々」について記したいと思う。20年前の取材でもそうだったが、ケニアでもっとも印象的だったのは「人の魅力」だ。もちろん、ナイロビなど都市部では犯罪が多く、一部は非常に危険な場所とされている。それは事実に違いない。しかし、総じてケニアの人々は優しく、明るく、親切で、とにかくホスピタリティに溢れている。アテンドしてくれたニッキーさんはその代表ともいえる人で、本当に楽しい一週間を過ごすことができた。また、ラリーを観戦している人々の盛り上がりも素晴らしく、みな心からラリーを楽しんでいた。そして、想像以上に技術や選手に精通していることにも驚かされた。サファリ・ラリーがWRCに復帰した今、ケニアでラリーはさらに盛り上がっていくことだろう。
毎日、多くの刺激を受けながら取材を続け、トヨタの1-2-3-4フィニッシュ達成の瞬間を目撃した。29年前、セリカGT-FOURで総合4位に入り偉業達成に貢献したのは、昨年のこのコラムでも触れた岩瀬晏弘さんだった。そして今年は、勝田選手が総合3位でやはりトヨタの1-2-3-4フィニッシュを支えた。何か運命めいたものを感じたが、その勝田選手のケニアでの人気は僕の想像を遥かに超えるものだった。彼の戦いぶり、そしてファンの人たちに対するフレンドリーな対応などが、ケニアの人々を魅了している。リザルトは昨年よりもひとつ下の総合3位だったが、戦いの内容自体はむしろ良かったといえる。セレモニアルフィニッシュで彼に贈られた声援の多さは、優勝したロバンペラに勝るとも劣らぬものだった。勝田選手がサファリ・ラリーで表彰台の中央に立つ姿を絶対にこの目で見たい、また来年、ケニアに行かなければならないと思った。
古賀敬介の近況
原稿にも書きましたがサファリ・ラリーの取材を終えて帰国してからしばらく経つというのに、まだ興奮状態が続いています。もちろんヨーロッパのラリーも大好きですが、全く違った環境、路面、文化の中で行われるサファリ・ラリーは別物。僕にとってはキング・オブ・ラリーです。現地に行くのは大変かと思いますが、ひとりでも多くのファンに、この素晴らしいラリーを見てほしいと心から思います。