モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY4 - 遠くとも毎年無性に行きたくなる、ラリー・アルゼンチンの魅力

遠くとも毎年無性に行きたくなる、
ラリー・アルゼンチンの魅力

WRCな日々 DAY4 2020.4.27

本来ならば、今ごろアルゼンチンで取材に没頭していたはずだ。しかし、新型コロナウイルスの世界的蔓延により、多くのイベントが開催延期や中止を余儀なくされている。WRCもその例に漏れず、本来第4戦として予定されていたラリー・アルゼンチン、第5戦ラリー・ポルトガル、第6戦ラリー・イタリア サルディニアと、この原稿を書いている4月の時点で3戦が開催延期となっている。以降のラリーについても、その時々の状況に応じて判断が下されるだろう。というわけで、しばらくは取材で得た旬な話題をお届けすることができない。そこで、逆にこの機会を利用して、各ラリーイベントの競技以外の魅力について書き記したいと思う。

その第1回目を飾るのは、ラリー・アルゼンチン。おそらく、この仕事に就いていなければ生涯訪れることがなかった国のひとつだ。何しろ行くのに時間がかかる。日本から見て、地球の「ほぼ」裏側にあたる国なので、ドアtoドアで最低30時間。乗り継ぎ時間や、現地の空港についてからのレンタカーでの移動時間も含めると、だいたい平均37時間くらいかかる。ラリーが行われるカルロスパスのホテルにチェックインすると、もう荷ほどきする余裕すらなく、バタンとベッドに倒れこみ、そのまま朝を迎えることも多い。

それでも、翌日コースの下見に出れば「ああ、やっぱり来て良かった」と一気に気分が高揚し、そこから週末まではひたすら楽しい時間が続く。とにかく、ラリー・アルゼンチンのコースはダイナミックのひとことに尽きる。デイごとに景観は大きく変わり、広大な草原地帯、谷間の湿地帯、険しい山岳地帯など、選手たちだけでなく、カメラマンにとっても非常に魅力的なラリーだ。ただ普通にコースを下見しているだけでもワクワクし、壮大な眺めに圧倒され続ける。しかし、ラリー本番ともなればその景色は大きく変わる。なぜなら、信じられないくらい多くの人がラリー観戦に訪れ、ステージ周辺の丘や岩は人で埋まるからだ。いうなれば自然のスタジアム。だから、誰もいないステージを下見しながら「きっと、あの山は人が鈴なりになるんだろうなあ」など、想像力をフルに働かせてロケハンをしている。それでも、いざラリー本番にその場所を訪れれば、自分のイメージ以上に多くの、そして熱狂的な観客に気圧(けお)される。その熱気たるや、サッカーのビッグゲームにだって負けていない。みんな、1年に1回のWRCを心待ちにしていて、競技が始まる数日前からコースサイドでキャンプをしているファンもいるほどだ。

アルゼンチンのお客さんは、とにかく人懐っこい。カメラを持っていれば必ず「フォト! フォト!」と撮影を求め、レンズを向ければ最高の笑顔をくれる。そして、その後は「飲んでいけ、食べていけ」と、嬉しいおもてなし攻勢。仕事中なのでアルコール類は遠慮するが、南米名物のマテ茶をいただくことは多い。そして、ほぼ必ずその場でグリルした牛肉が差し出される。そう、アルゼンチンといえばビーフステーキ。とにかく美味い! 値段も、昔に比べれば随分と高くなったが、それでも日本と比べれば信じられないくらい安い。いろいろな部位があるが、僕のお気に入りは赤身のフィレ。柔らかく、ジューシーで、滋味深く、そして何ともいえない良い香りがする。甘い草を燃やしたような香りとでも表現しようか、とにかく幸せな気分になるのだ。レストランで食べてももちろん美味しいが、大自然の中でお客さんが薪で焼いてくれた肉も負けず劣らず素晴らしい。食もまた、アルゼンチンを訪れる楽しみのひとつなのである。

話が脱線したが、魅力溢れるアルゼンチンのステージの中でも、僕が訪れるたびに圧倒されるのが「エル・コンドル」と、「ミナ・クラベロ〜ジュリオ・チェザーレ」の2本のステージだ。この2本はほぼ同じ山岳エリアにあるが、雰囲気はかなり違う。エル・コンドルは荒々しい岩山の道を、ミナ・クラベロ〜ジュリオ・チェザーレは丸い巨岩群の中を駆け抜ける。ほぼ毎年訪れる場所だが、その度に間違えて火星に来てしまったかのような気分になる。もちろん、火星に行ったことはないが。数あるWRCの名ステージの中でも、ダイナミックさでいえばこの2本は必ずトップ3に入るだろう。景色だけでも素晴らしいのに、そこをラリーカーが岩肌スレスレ、時にガツンと当たりながらかっ飛んで行くのだから、その迫力たるや筆舌に尽くしがたい。

他にも、ビッグジャンプ、ウォータースプラッシュ、悪路、高速コーナーなど、ラリー・アルゼンチンにはグラベルラリーの魅力の全てが詰まっている。草原の中を高速で駆け抜ける気持ちの良い道も多いが、ミナ・クラベロ〜ジュリオ・チェザーレは道幅が狭く、路面は柔らかい砂地でクルマはなかなか前に進まない。雨が降り続けば路面は荒れ、ラリーカーは下まわりに大きなダメージを受けやすくなる。「こんな悪路は経験したことがない」という選手もいるほどだ。湿地帯のウォータースプラッシュは、勢い良く入り過ぎると水の圧力でバンパーやボンネットが飛散することもある。また、エンジンに水が入ると失火するため、水に入る直前に室内からエアインテークの弁を操作して閉じるが、それはコ・ドライバーの仕事だ。ジャンプは、高さはそれほどでもないが角度がやばい。離陸したクルマは斜めになりながら飛び、着地する。望遠レンズで撮影していても、クルマが自分に向かって飛びかかってくるような錯覚に陥り、思わず「うあっ」と声が出る。

とにかくアクション満載で、ドライバーにとってはチャレンジし甲斐がある1戦であるが、それだけに勝つのは簡単ではない。過去を振り返ってみれば、もっとも多く優勝しているのはセバスチャン・ローブ(当時シトロエン)で、2005年以降、WRCとして開催されたイベントで8連勝を飾っている。一方、不思議なのはローブに次ぐ6年連続世界王者記録を持つセバスチャン・オジエが、まだ1度も優勝していないことだ。毎年のように開催されるWRCイベントの中で、オジエが表彰台の頂点に未達なのはアルゼンチンのみ。不得手のない真のオールラウンダーであるオジエだが、なぜかアルゼンチンだけは相性が良くない。それだけに、ヤリスWRCというウエポンを得た今年は、初優勝を狙っていたはずだ。それが延期となり、もし中止となってしまったら、本人はもちろん僕らも残念でならない。

こうして原稿を書きながら、過去のラリー・アルゼンチンの写真を見返すだけでも、気持ちが明るくなる。あの素晴らしい景色、お客さんたちの溢れるようなパッション、そして分厚いステーキ。楽しかった思い出が次々と蘇ってくる。今宵は久々に出かけ、牛肉でも買い求めるとしよう。自宅の周りのスーパーにアルゼンチンビーフは置いていないが、せめてワインだけはアルゼンチン産を選ぼうか。この世界的な危機が少しでもはやく沈静化し、再びアルゼンチンの地を踏めることを願いながら肉を焼き、コルクを抜きたい。

古賀敬介の近況

この時期、WRCだけでなくあらゆるモータースポーツイベントが開催を見合わせているので現地取材はいっさいなし。自宅でできる仕事を粛々と進めています。出張で年間130日以上留守にする日々が長く続いていたので、こんなに家族と一緒に過ごすことはなく、家での生活を楽しんでいます。少しでも早く世界が健康な状態に戻り、WRCが再開されることを願っています。