溢れる感情を抑えて勝ち取った
エバンス約1年半ぶりの勝利
WRCな日々 DAY44 2023.5.19
今回のコラムほど、何を、どのように書くべきか迷ったことはない。ラリー・クロアチア自体は今年も素晴らしい内容で、非常に興味深いイベントだったが、その前週にWRCトップドライバーのひとりであるクレイグ・ブリーンが、突然この世を去ってしまったからだ。
正直、クロアチアが終ってしばらく経った今もなお、その事実を飲みこめずにいる。しかし、僕以上に大きなショックを受けたに違いないWRCドライバーやコ・ドライバー、そしてチーム関係者たちは、辛く、哀しい気持ちを封印し全力でクロアチアを戦った。それが、ラリーを心から愛していたブリーンへの敬意であると信じて。だから僕も、今回のラリー・クロアチアを書き手として、できるだけ冷静に分析したいと思う。
WRC開催3年目のラリー・クロアチアでは「今年も」TGR-WRTのドライバーが表彰台の最上段に立った。優勝したのはエルフィン・エバンス。約1年半ぶりの勝利だった。エバンスは、WRCクロアチア初開催だった2021年に優勝まであと一歩と迫ったが、最終ステージでチームメイトのセバスチャン・オジエに逆転を許し、僅か0.6秒差で総合2位に甘んじた。そして昨年は、序盤のタイヤダメージなどで大きくタイムを失い、総合5位に終わった。ただし、タイヤの問題は別としても、優勝したカッレ・ロバンペラと比較するとスピードはやや足りていなかった。
今回も、純粋な速さに関してはオジエとロバンペラほどではなかったというのが正直なところだ。オジエが7回、ロバンペラが6回ベストタイムを刻んだのに対し、エバンスは1回しかステージを制していない。多くが3番手前後のタイムだった。それでもエバンスが優勝したのは、誰よりも適切なペースを一貫して維持し続けたからだ。今回のラリーで最速だったのは、前2大会の勝者であるオジエとロバンペラの二人であることは間違いない。しかし彼らは、ラリー初日のSS2でホイールにダメージを受け、エアー抜けによりタイヤ交換作業を余儀なくされ優勝争いから脱落した。ふたりがホイールを破損したのは全く同じ場所で、ハイスピードな緩い左コーナーだった。
その左コーナーのイン側は未舗装路になっていて、通常であればイン側、つまり左側のタイヤをダートに落として直線的に駆け抜けることでタイムを縮めることが可能になる。いわゆる「インカット走行」だが、この左コーナーには罠が潜んでいた。この写真でも分かるように、舗装の路肩部分がこぶのように盛り上がっていて、なおかつヨーロッパの舗装路によくあるように、エッジ部分がギザギザになっていたのだ。そしてオジエとロバンペラは、そのこぶのエッジ部分を通過したことでホイールに強い力を受けてしまったようだ。ほんの1、2センチでも走行ラインが違っていたならば、彼らはトラブルに遭遇することなく最終日に優勝を争っていた可能性が高い。
「あの場所は、かなり注意していました」と言うのは、このラリー3年連続で総合6位に入った勝田貴元だ。「一昨年も昨年もあのコーナーのイン側にはこぶが二つありました。でも、今年レッキでコースを1回目に下見した時、昨年よりも盛り上がりが大きくなっているように見えたんです。そこで、2回目に通過する時はわざわざクルマを止めて、こぶの状態を確認しました。結論として、少しタイムロスするだろうけど、ラインをずらしてこぶを避けることにしました」
オジエは「レッキは低速だったのでこぶを見逃していた」と、ロバンペラは「ペースノートに路面の状況は記していたけれど、予想以上にこぶが大きかった」と、デイ1終了後に述べた。彼らはクロアチアのトラップにはまってしまったわけだが、優勝するためにコンマ1秒を争っているような状況では、どうしてもリスクを負う必要がある。彼らはややアンラッキーだったともいえるが、今年のクロアチアに関してはリスクとスピードのバランスを適切にコントロールし続けたエバンスの戦い方が正解だった。
2021年の第10戦ラリー・フィンランド以来となる優勝。昨年、Rally1の時代となって以降、エバンスはなかなかクルマを自分好みに仕上げることができていなかった。エバンスはチームの中で誰よりもセッティングを重視し、自分の理想に近づけることに力を注ぐドライバーだとTGR-WRTのエンジニアは言う。そして、新しいクルマの「スイートスポット」をなかなか見つけることができなかったようだ。しかし、エンジニアともちろんエバンス自身の弛まぬ努力がようやく結実し、ついに復活を果たしたのだ。
長いトンネルをなかなか抜けることができず、それでも辛抱強く、真摯に頑張ってきたエバンスの努力が報われたことは、本当に嬉しく思う。しかしエバンス、そしてコ・ドライバーのスコット・マーティンの表情に、心からの喜びは見られなかった。エバンスにとってはライバルであり大切な友人だった、そしてマーティンにとってはかつて同じ車内で共に勝利を目指していたブリーンを失ったのだから、それも当然だろう。彼らは勝利を決めたパワーステージエンドで、そしてポディウムでブリーンの祖国であるアイルランドの国旗を掲げ、亡き友に敬意を表した。
ここから先は、僕の個人的なブリーンへの想いを少しだけ記したい。初めてブリーンに会ったのは、彼がWRCにデビューした2009年だった。眉毛が凛々しくハッキリとした顔立ちの好青年だったので、その時から強く印象に残るドライバーだった。そして、上位カテゴリーにステップアップしていくにつれ、彼の印象はどんどん強まっていった。とにかく走りがアグレッシブで、特にハイスピードなコーナーで目一杯アクセルを踏んで曲がっていく姿は本当にカッコよく撮影し甲斐があった。あまりの迫力に、撮影しながら1、2歩後ずさりしたことを思い出す。
ブリーンはとても感情豊かなドライバーで、いい走りができた時は目を輝かせて大喜びし、クルマをぶつけて壊した時は気の毒になるくらいうなだれていた。何が起こってもあまり表情を変えないクールなドライバーが多い中で、だからブリーンは特に人間味がとても強く感じられた。サービス前のタイムコントロールで、僕が撮影したジャンプの写真をカメラの液晶画面で見せたら「ワオ!」と興奮し、カメラを勝手に持っていってしまい、他のドライバーやチームのスタッフにその画像を見せて回っていたっけ。ステージエンドでマイクを向けられた時のコメントも最高に面白く、今年のラリー・スウェーデンのSS5「ブラットビー2」でベストタイムを刻んだ時は「ブラットビーの市長になれるかもしれないね」と、彼らしい言葉で喜びを表現した。
たしかに、スウェーデンでのブリーンはクルマに乗れていた。今年、Mスポーツ・フォードからヒョンデに戻り、かつてのスピードを完全に取り戻したように感じていた。スウェーデンでは2位だったけれど、今年彼はWRCで初優勝するかもしれないし、トヨタにとっては強力なライバルになるに違いないと思った。そして、今年のWRCを大いに盛り上げてくれるだろうとも。
そんなブリーンは、もういない。WRCに携わる誰もが、しばらく喪失感を拭えずにいるだろう。でも、みんな分かっている。彼のためにも後ろ向きな気持ちになってはならないということを。ブリーンはラリーを誰よりも楽しんでいた。もちろん勝利はとても大事だけれど、ブリーンはとにかくいい走りをすること、そして楽しむことに拘っていた。スウェーデンのブラットビー2は、彼にとって過去最高の走りができたステージだったようだ。だから、ついぞ表彰台の中央に立つことはできなかったけれど、きっとラリードライバーとしてのこの上ない喜びを感じたに違いない……と信じたい。僕も、ドライバーではないけれど、取材者としてWRCという素晴らしい世界を心から楽しもうと改めて思った。初めてWRCをこの目で見た、あの時のように。大事なことを思い出させてくれてありがとう、クレイグ。古い友人のギャレス・ロバーツと、空の上で思いきり自由な走りを楽しんでください。
古賀敬介の近況
この原稿を最終的に書き終えたのは、WRCポルトガルのラリーウィークが始まってからです。長年、一緒にWRCで過ごしてきたクレイグ・ブリーンさんのことを書くべきか、否か、悩みに悩んだ3週間を経て、ポルトガルに来てようやく気持ちを切り替えることができました。これからは、とにかく前向きに、取材も、撮影も、執筆も、全力で楽しみたいと思います。