モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY53 - 改めて振り返るラリージャパン あの時、何が起こっていたのか?

改めて振り返るラリージャパン
あの時、何が起こっていたのか?

WRCな日々 DAY53 2023.12.25

愛知・岐阜開催2年目のラリージャパンが終わってから、約1ヶ月が過ぎた。大会の模様は多くのメディアによって取りあげられ、今まで以上に多くの人々がラリージャパン、そしてWRCに興味を持ち、その魅力を知ってくれたと強く感じている。そこで今回は、TOYOTA GAZOO Racing WRTのドライバー4人がどのような思いで2023年のラリージャパンに臨み、どのように戦いを進めていったのかを、彼らを至近距離で見ていた僕の視点でお伝えしたいと思う。

まずはエルフィン・エバンス。前戦セントラル・ヨーロッパ・ラリーの3日目にコースオフを喫し、デイリタイアとなった彼は、そこで逆転タイトルに向けて僅かに残されていた可能性を失った。チームのスタッフによれば、普段は良くも悪くもあまり感情を表に出さないエバンスが、珍しく酷く落ち込み、自分のミスを悔やんでいたという。その時点でも既にランキング首位のカッレ・ロバンペラとはポイント差がかなり大きく開いていたが、それでも諦めず、自分を信じて攻め続けた結果のクラッシュだった。

このように、タイトル争いについては最終戦ラリージャパンを待つことなく終わってしまったが、エバンスには重要な仕事が残っていた。それは、ティエリー・ヌービル(ヒョンデ)とのドライバー選手権2位を巡る戦いに勝つこと。ポイント差は7、前年ラリージャパンを制しているヌービルは、今回もまた有力な優勝候補のひとりとして見られていた。そのため、エバンスは決して少なくないプレッシャーを感じながら日本に入り、今年最後の大仕事に向けてコンセントレーションを高めていた。

コースオフとリタイアを喫したとはいえ、セントラル・ヨーロッパではクルマの仕上りもドライビングも決して悪くなかったという。しかし、その走りを日本でも再現できるかについては、自信を持ち切れていなかったようだ。「ラリーのキャラクターが大きく異なるからね。セントラル・ヨーロッパは全体的に高速セクションが多く、ビッグブレーキングとタイトなジャンクションが特徴的なハイスピードラリーだ。対照的に、日本の道はとてもツイスティで道幅が狭く、スピードが非常に遅い。だから、日本でもいい走りができるかどうかは分からなかった」とエバンス。

しかし、実際にラリーが始まると、大雨に見舞われたフルデイ初日の金曜日に、エバンスは圧倒的な速さと安定性の高い走りでトリッキーなコンディションのステージを駆け抜けた。オープニングのSS2でベストタイムを記録したエバンスは、続くSS3でも最速。2本のステージが終了した時点で、総合2位につけるティエリー・ヌービルに26秒、総合3位のセバスチャン・オジエに42.6秒という大きなギャップを築いた。そして、午後のステージではヌービルがクラッシュしてデイリタイア、オジエもガードレールに激突してクルマに大きなダメージを負うことになった。クルマの修復作業によるタイムコントロール遅着で、1分のペナルティを課せられた総合2位オジエに対し、エバンスは結果的に1分49.9秒という大差を築くことに成功。この金曜日で、エバンスは勝利をほぼ決めたといえる。

「金曜日に開いたギャップには自分でも驚いた。あのようなコンディションでは、自分がどれくらい速いのか遅いのかを判断するのはとても難しい。ラリージャパンの金曜日は、セントラル・ヨーロッパと同じように雨のコンディションになり、クルマのセットアップに大きな違いがなかったのはある意味ラッキーだった。あのような極端なコンディションでは、究極のハンドリングバランスを追求するよりも、挙動の予測のしやすさと安定性、特にブレーキング時の安定性が重要になる。それができたからこそ、大きな差を築くことができたのだろう」

セッティングが決まった時のエバンスは、とてつもない速さを発揮する。実際、コースサイドで見た彼の走りはとても安定していて、大雨によりあちらこちらに水溜まりができ、ハイドロプレーニングが起こっていたステージで自信を持って走ってるように見えた。出走順の違いやコンディションの変化を考慮しても、トリッキーな路面のターマックを得意とするオジエやロバンペラ以上にいい走りをしていた。エバンスは2023年最後のラリーを勝利で終え、実質チームリーダーとして戦うことになる2024年に向けて、いい形でシーズンを締めくくった。

そのエバンスよりも一段低い位置で表彰台に立ったオジエは、ルーザーである。人一倍負け嫌いな、誇り高き元世界王者が望んでいた結果ではもちろんない。しかし、意外にもオジエはラリージャパンのリザルトを喜んでいた。「トヨタにとってのホームイベントである日本で、1-2-3フィニッシュを実現する力になれたのは嬉しいし、満足している」とオジエ。悔しい気持ちを抑え込んででのリップサービスと思う人もいるかもしれないが、カメラやマイクが向けられていない状況で、個人的に話しをした時も彼は素直に1-2-3という結果を喜んでいるように感じた。

前年のラリージャパンでは、SS2でパンクを喫して最下位に転落し勝負権を失った。しかし、その後の走りはさすがといえるもので、最後は勝田貴元と激しい表彰台バトルを展開。総合4位でラリーを終えたが、パンクさえなければ彼が優勝していたのではないか? と思えるほどの速さだった。それだけに、今回も優勝候補のひとりと僕は見ていたし、実際速さは十分にあった。オジエもまたトリッキーなコンディションを非常に得意とするドライバーであり、だからこそ路面の状態が刻々と変化するWRC開催のラリー・モンテカルロで8勝もしているのだ。しかし、今回のラリージャパンは優勝を狙えるようなペースではなく、エバンスになかなか太刀打ちできなかった。それでも何とかくらいついていったオジエだが、金曜日の午後1本目のSS5でバリアに激突。クルマにダメージを負った状態でその後のステージを走ることになった。

オジエのラリージャパンは、金曜日で終了していてもおかしくないような状況だった。なぜなら、バリアにぶつかった影響でロールケージが損傷しており、規則上それが完全に直らない限りは競技を続けることができなかったからだ。多くのラリーで、ロールケージを破損したドライバーはリタイアを余儀なくされる。決められたサービス時間内に、曲がったり折れたりしたロールケージを本来の状態まで直すことは不可能に近いからだ。しかし、TGR-WRTのメカニックとエンジニアは難題に挑んだ。最終サービスの制限時間は45分。破損した部位のロールケージを切除し、代替パーツを溶接して問題がない状態に仕上げることは、不可能に近い。しかし、メカニックたちはまるで鍛冶屋のように火花が散るサービスで迅速に作業を進め、タイムリミットを約6分越えながらも修理を完了。オジエは、直後の豊田スタジアムのスーパーSSで3番手タイムを刻み、遅着で1分のペナルティタイムを課せられながらも総合2位の座を守った。

そのようなピンチを乗り越えての総合2位だったからこそ、オジエはリザルトに納得していたのだろう。そして、チームにとってのホームイベントで1-2-3フィニッシュ達成の一助となれたことを心底嬉しく思えたに違いない。そもそもオジエは、ラリーが始まる前から日本の人々の歓迎や、ファンの応援に強く心を打たれていた。ラリーが始まる前日の水曜日の夜、豊田市駅前ではトップドライバーたちが集まり、トークショーやサイン会が行われた。どのドライバーも真摯にファン向き合っていたのがとても印象的だったが、特にオジエは、サイン会が終わってもファンのもとに残り、小さな子供や、身体の自由がきかないファンとの写真撮影を続けていた。「みんなが礼儀正しく、こんなにも一生懸命応援してくれる。だから僕もそれに応えたくなってしまうんだ」とオジエ。寒空の下、ファンの求めに応え続けるオジエの横では、勝田もまた笑顔でファンとの交流を続けていた。

「今年最後のラリーを優勝で締めくくりたい」と意気込みを語っていたロバンペラは、願い叶わずシーズン最終戦を総合3位で終えた。どのようなラリーでも速く、特にトリッキーなコンディションでは驚くようなスピードを発揮するワールドチャンピオンは、しかし不思議とラリージャパンのステージと相性があまり良くない。前年大会でも速さはあったが岩壁に当たりパンク。そこで表彰台の権利を失った。ロバンペラ自身、日本の狭くツイスティな道に対してはやや苦手意識を持っている。それに加え、今回のラリージャパンでは「特別な要素」により、スピードを削がれることになった。落ち葉である。

秋季開催のラリージャパンは、紅葉に彩られた風景の美しさもまた魅力だが、ドライバーにとっては落ち葉が大きな問題となる。前年大会でも落ち葉は多く、特に濡れた落ち葉は路面にへばりつき、タイヤのグリップは大幅に低下していた。しかし今回は、前年以上に路面に落ち葉が多かった。主催者はラリーの前週に道路清掃を行なったが、ラリーウィークに入ると多くの路面は再び落ち葉で覆われていた。夏が暑かったことで、色づかず地面に落ちる葉が多かったようだ。また、開催時期が前年よりも一週間程度遅かったことも影響したのかもしれない。とにかく落ち葉の量が尋常ではなく、それがロバンペラの勝機を阻んだともいえる。ドライバー選手権ランキングトップのロバンペラは、フルデイ初日の金曜日を出走順トップで走行した。通常ならば、ターマック・ラリーでは泥が出ていないクリーンなコンディションの道を走ることができるため、一番手スタートは有利とされている。ところが、今年のラリージャパンは路面に落ち葉が多く、ロバンペラは後続のライバルたちのために、落ち葉を文字通り「清掃」しながら走らなければならなかった。まさに、グラベルラリーにおける、ルーズグラベル清掃と同じような状況になっていたのだ。ロバンペラが走った後の落ち葉の道には轍のような細いラインが刻まれ、後続の選手たちはそれを通ることでグリップを得ていた。

ロバンペラからスピードを奪ったのは、落ち葉だけでない。金曜日は大雨により路面は水浸しとなり、クルマを道の上に留めておくことすら困難なコンディションだった。これまで、そういった路面をミズスマシのようにスイスイと泳いできた「雨の子」ロバンペラをして「あちこちに大きな水溜まりがあり、とんでもなく滑る。こんな難しいコンディションで走るのは初めてだ。クレイジーだよ!」と言うほどの難局だった。金曜日に大きな遅れをとり勝機を失ったロバンペラは、その後完走することにターゲットを変更。ペナルティで遅れをとったオジエとの差は一時的にそこそこ縮まったが、リスクを冒して2位を獲りにいくような走りはせず、チームの1-2-3フィニッシュ実現のために安定した走りに徹していた。ラリー中の彼には、何というか達観しているような雰囲気が感じられたが、きっと自分の責務を果たすことに集中していたのだろう。2024年はフル参戦をしないと既に決めていた彼は、せめてトヨタの1-2-3達成に貢献したいと思っていたに違いない。

最後に、勝田の戦いを振り返りたい。前年のラリージャパンはトヨタ勢トップの3番手。地元で表彰台には立ったが、結果には満足していなかった。2年目の今回は、当然多くの人が前年以上の結果を期待している。勝田としても何とかキャリアベストの結果を残したい。そのために、一年かけてドライビング改革に取り組み、優勝を狙うための走りや、タイヤマネージメントの改善を続けてきた。前戦セントラル・ヨーロッパの後に母国ラリーに向けての抱負を聞いたところ「もちろん最高の結果が目標です。前回は序盤に攻めきれず少し遅れをとってしまった。だから、今年は最初から勝負の走りをしたいと思っています」と勝田。「ただ、問題は天気ですね。もし金曜日に雨が降ったら、みんなある程度様子を見ながらの走りになると思います。そこでどうするべきか……」とつけ加えた。

ラリージャパンのラリーウイークに入り、金曜日の降雨が決定的になると、勝田は「最初から全力でプッシュするのは難しいかもしれませんね」とやや残念そうだった。大雨のステージを最初から全開で攻め、いきなりクラッシュで全てを失うことは許されない。様子を見ながらペースを上げていく作戦が、おそらく正解だろう。しかし、勝田は金曜日オープニングの「イセガミ・トンネル1」でいきなりクラッシュ。クルマのフロントセクションに大きなダメージを負ってしまった。続く「イナブ・ダム1」のステージでカメラを構えていた僕の前に、右フロントを破損した勝田車が現れた時「最初から全開でアタックをしたのだろうな」と僕は思った。しかし、実際はそうではなかったようだ。

「ステージを走り初めてすぐ、クルマがとても操りやすいと感じました。あのような難しいコンディションでありながら、自信を持って走ることができていたし、それでもまだ『あのコーナーは攻めきれなかったな』と何度か思ったくらい、余力を残した走りでした。だから、ブレーキングでいきなりグリップを失い、木にぶつかってしまった時は『なぜ?』という感じで驚きました」と勝田。スタート後、約11km地点の右コーナーに入るためのブレーキングで、勝田はハイドロプレーニング状態に陥り、ステアリングが全く効かない状態でフロントから木やコーナーミラーに激突。クルマの右フロント部分と冷却系にダメージを負ってしまった。「あそこの路面が大量の水で覆われているとは思わなかったですし、ペースノートにも注意を喚起するような記入はなかった。後から映像等を見て分析してようやく、あの10mぐらいの区間だけ舗装が補修されていて、水が溜まりやすくなっていたことが分かりました。ただ、レッキの時の映像を見ると大量の落ち葉で路面の変化はほとんど分からず、他のドライバーたちもマークしていなかったようです。とはいえ、路面の変化を見逃しクルマのコントロールを失ってしまったのは自分の責任です」

雨などコンディションの変化によりグリップが大きく変わるターマック・ラリーでは、競技開始前にステージを走行し、自分が担当する選手のペースノートを修正する「セーフティクルー」が重要な役割を果たす。しかし、経験豊富なセーフティクルーもまた、路面の変化を見逃していた。勝田は「落ち葉で見えにくかったですし、それほど高くないスピードで走っていても気がつくことは難しかったと思います」と、改めてオンボード映像を見た上でセーフティクルーを擁護した。ちなみに、ラリー1のドライバーでは勝田の直後に走行した、ダニ・ソルド(ヒョンデ)とアドリアン・フォルモー(Mスポーツ・フォード)も勝田と同じ場所でクラッシュ。彼らは道から外れ、緩い崖を滑り落ちてラリーを終えることになった。勝田を含めた3人が走っていた時間帯は雨が強く降り、それによってハイドロプレーニングが起こりやすくなっていたのだろう。

勝田は、破損したサスペンションや冷却系を自力で応急処置し、僕が待っていた「イナブ・ダム1」を5番手タイムで走行。しかし、クルマの状態は当然良くなく、川から水を汲んで冷却系に補充しないと走れないほどになっていた。それだけに、午前中最後のステージ「シタラ・タウン1」がキャンセルされたのは、勝田にとって不幸中の幸いだったといえる。クルマは、豊田スタジアムのサービスでチームのメカニックたちによって修理され、勝田は気持ちをリセットして午後のステージに臨んだ。順位は総合24位まで落ち、トップからは5分30秒近く遅れている。優勝はもちろん、表彰台も絶望的な状況で、勝田にできることはただ己の真の速さを証明することだけだった。クルマのフィーリングは引き続き良く、雨も収まり路面コンディションは午前中よりも好転している。そして何より、午前中にクラッシュを喫したSS2でも、序盤の区間タイムはトップだったことが勝田に大きな自信を与えた。

再走ステージとなる午後の3ステージで、勝田は3連続ベストタイムを記録。午前中の鬱憤を晴らすかのような、それはそれは圧巻のアタックだった。その時点で勝田は、既に十分に速さを証明していたが、金曜日はまだ序章に過ぎなかった。ドライな路面が多くを占めた土曜日、勝田は2番手というあまり理想的ではない出走順ながらベストタイムを連発。岡崎中央総合公園や、豊田スタジアムでのスーパーSSこそベストをライバルに譲ったが、難易度の高い山岳ステージは全て制し、全部で5本のベストタイムを記録(うち1本は救済タイムによるもの)。最終日の日曜日も、さらに2本のベストタイムを追加し、合計10本の最速タイムを刻んでラリーを走り終えた。

結果的に、総合順位は5位。ひとつ上のエサペッカ・ラッピ(ヒョンデ)とは20秒差だった。「最終日は、頑張って走ったのに再走のSS20で全くグリップがなく、なぜそうなったのか分かりません」と勝田。ラッピを捉えて総合4位をとれるという手応えを感じていたのだろうか、非常に悔しそうだった。それでも総合24位からベストタイムを積み重ねて総合5位まで挽回したのだから、そこは喜ぶべきと思うのだが……。「まったく満足していません。悔しくて、悔しくて、ラリーが終わってしばらく経っても悔しさがこみ上げてきます。あそこでミスをしなければ、勝てる可能性もあったと考えると、残念で仕方ありません」

ホームイベントで、チームメイトの3クルーが表彰台に立ったのに対し、自分だけが結果を残すことができなかった。たしかに速さは証明したが、それが結果に繋がらなければ意味はない。2024年、TGR-WRTのセカンドドライバーとなることをチームから告げられていた勝田は、何としてでも日本で表彰台に立ちたかったのだろう。合計10本のベストタイムという素晴らしい勲章も、さらなる高みを目指す勝田にとってはそれほど意味がないものなのかもしれない。しかし、その悔しさは勝田に明確な次の目標を与えた。それは常に表彰台争いに加わり、優勝を実現すること。2024年の勝田の活躍に、期待したい。

古賀敬介の近況

ラリージャパンが終わってから、しばらく放心状態でした。自分としても、これほど力を入れて取材、撮影した記憶がないほど頑張りましたが、その反動で終わった後は体調を大きく崩し、何か大事なものが抜けてしまったような感じがしました。ようやく本調子に戻りつつあり、年末に向けて体力増強に励んでいます。

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