勝田の勝利をかけた戦い:フィンランド編
第二の地元で上位を争うも痛恨のデイリタイアを喫す
WRCな日々 DAY58 2024.8.30
勝田貴元にとって、フィンランドは第二の故郷である。彼はWRCにデビューする前からフィンランドの森の未舗装路で多くを学び、ラリードライバーとして成長してきた。それだけに2023年ラリー・フィンランドでの総合3位獲得は非常に大きな意味を持つマイルストーンとなり、それを超えるリザルトを残すことが、今年のラリー・フィンランドでの勝田のターゲットだった。
ラリー・フィンランドは、例年WRCの中でもっとも平均速度が高いラリーであり、勝つためには精度の高いドライビング、それを可能とするクルマのスタビリティ、そして「限界まで攻め切る勇気」が求められる。かつて、ラリー・フィンランドを7回も制したマーカス・グロンホルムは以前「決して心から楽しいと思えるラリーではない。あまりにも高速なのでコースアウトした時のリスクが大きすぎるし、同じ超高速ラリーならば、コースオフしかけても雪壁が守ってくれる可能性があるラリー・スウェーデンの方が断然楽しめる」と語っていた。また、2013年にラリー・フィンランドで優勝したセバスチャン・オジエも、TGR-WRTの一員として出場した2021年大会を最後に、しばらくこのラリーから遠ざかっていた。2021年のラリー・フィンランドで「正直、最近少し高いスピードに怖さを感じるようになってしまった」という言葉を彼の口から聞いた時は、かなりショックだったことを覚えている。それくらい、ラリー・フィンランドはハイリスクかつチャレンジングであり、WRCの中でも特に攻め切ることが難しい一戦なのだ。
TGR-WRTはこれまで、2017年にWRCに復帰してから6回ラリー・フィンランドに参戦し、5回勝利を挙げてきた。チームにとってはホームイベントであり、サファリ・ラリーと並び非常に相性が良いラリーである。それだけに「今年も絶対に勝つ!」という思いは非常に強く、何とチーム史上最多となる5台ものGR YARIS Rally1 HYBRIDを投じた。その陣容は、まず新旧王者のカッレ・ロバンペラとオジエ。彼らが同時に出場するのは第5戦ポルトガル、第8戦ラトビアに続き今シーズン3回目である。彼らのクルマは、今年限定発売された特別仕様車をイメージしたカラーリングが施され、大きな注目を集めていた。そのふたりに、2021年と2023年の勝者であるエルフィン・エバンスを加えた3名を、チームはマニュファクチャラーズポイント獲得ドライバーとしてノミネート。そして、勝田に4台目のステアリングが委ねられた。さらに今回は、GR Yaris Rally2でWRC2に出場している地元の新鋭サミ・パヤリが、初めてGR YARIS Rally1 HYBRIDのステアリングを握ることになった。彼のクルマはWRCチャレンジプログラムのRally2車両と同じくホワイトのボディとなり、とても新鮮に映った。
ラリー前のプレイベントテスト、そして木曜日のシェイクダウンを経てGR YARIS Rally1 HYBRIDは非常に良いハンドリングに仕上り、森林地帯での戦いの初日となった金曜日の朝から、TGR-WRTのドライバーたちがリザルトの上位を独占した。オープニングのSS2ではエバンスがベストタイムを記録し、2番手タイムのオジエが総合1位に順位を上げた。続くSS3はロバンペラがベストタイムを刻み首位に浮上。そしてSS4ではエバンスが2本目のベストタイムで首位に立つといったように、チームメイト同士による僅差のトップ争いが続いた。SS4が終了した時点での総合順位は1位エバンス、2位ロバンペラ、3位オジエ、4位勝田。勝田は、この時点で3位オジエと4.4秒差、首位エバンスとは6.8秒差につけていた。
通常のグラベルラリーであれば、6.8秒というのはそれほど大きなギャップではない。場合によっては1、2ステージで挽回することも可能な差だ。しかし、フィンランドの道ではそうはいかない。ステージのアベレージスピードが約120km/hを越えるこの超高速ラリーで、1秒の差を詰めることは容易ではなく、優勝経験者や世界王者たちを上まわるタイムを出すためには相当大きなリスクを冒す必要がある。そして、優勝をターゲットに定めていた勝田は、チームメイトにくらいついて行くべく渾身の走りを続けていた。路面は断続的に降り続いた雨により濡れて滑りやすく、インカットにより大量の泥がステージ上に掻き出されているようなコーナーも多かった。ほんの僅かなグリップ判断ミスも許されない難しいコンディションで、ヒョンデのオィット・タナックは大クラッシュを喫し、同じくヒョンデのティエリー・ヌービルもコースオフ。大きくタイムを失った。それくらいトリッキーな路面コンディションで僅差の戦いが続く中、勝田もSS5「ルイヒマキ1」でコースオフを喫してしまった。中速の左コーナーで走行ラインがワイドに膨らみ、クルマの右リヤを木にヒット。その衝撃でサスペンションが破損し、何とかステージを走り切ったものの、右後輪を引きずった状態での走行により大きな遅れをとることになった。
勝田によると、コーナー進入時のブレーキングでは比較的しっかりとしたグリップを感じたため、そのままコーナーに進入したという。ところが、クルマの向きを変えるターンイン区間の路面には軟らかい泥が広がっていたため、クルマがコーナー内側を向かずアンダーステアが発生。コーナリングラインが膨らみ、コース脇の木に右リヤが当たってしまったのだ。ルイヒマキ1は午前中最後のステージだったため、リエゾン(=移動)区間を走り切りサービスパークまで辿りつくことさえできれば、修理を経て午後のステージに臨むことも十分可能だったはずだ。ところが、リエゾン区間を走行中にギリギリで繋がっていた右後輪がついにクルマから外れてしまい、走行を止めざるを得なかった。規則により、4輪が路面に接している状態でなければ、リエゾン区間を走ることが許されないためだ。
今シーズン「優勝を狙うラリー」のひとつとして、ターゲットに定めていたフィンランドで、勝田は早々に勝負権を失ってしまった。走りもペースも決して悪くはなかった。それでも、同じクルマに乗るチームメイトたちほどはタイムが伸びず、金曜日午前中の段階でジワジワ離されつつあった。このような超高速グラベルラリーで勝利を手にするためには、1ステージで1、2秒も遅れるようなことは許されない。例えトリッキーな路面であっても、勝田にペースを緩めるという選択肢はなく、全ステージをフルにプッシュした上で、ミスも犯さないという非常に高度な戦いを続けなければならない状況だった。ペースを緩めずにミスをしたことを悔やむのではなく、さらにスピードレンジを高めて余裕を持つことが「優勝」を手にするためには重要であると、勝田は実感したようだ。
デイリタイアの翌日、勝田は修理されたクルマでラリーに復帰。最終日の日曜日は、パワーステージを含む2本のステージでベストタイムを記録し、「スーパーサンデー」ではトップと僅差の2番手となった。もし勝田が、ポディウムフィニッシュを最優先するペースで最後まで走り続けたとしたら、チームメイトやライバルの多くがリタイアを喫した今回は、総合2位を獲得していた可能性が高い。しかしそれはあくまでも結果論であり、勝田が望むシナリオではなかったはずだ。自分自身のスピードで勝利を掴むことこそが現在の勝田の目指すところであり、そのためには厳しい道を進み続ける覚悟もいる。勝田の勝利をかけた戦いは、今回のフィンランドでひと段落。数戦は確実性を最優先するラリーが続くと思われるが、最終戦ラリージャパンでは、ふたたび表彰台の頂点にターゲットを絞った走りを見せてくれるに違いない。
勝田のデイリタイアにより、TGR-WRTのトップ4独占状態は崩れた。それでも上位3選手の勢いに陰りはなく、金曜日のデイ2が終了した時点で首位ロバンペラ、総合2位エバンス、総合3位オジエという陣形に。オジエとロバンペラの差は8.6秒と、依然激しいチーム内バトルが続いていた。しかし、土曜日のデイ3が始まるとロバンペラは異星人のごとき圧巻のスピードを発揮。6ステージ全てでベストタイムを刻み、総合2位に順位を上げたオジエに44.2秒という大差を築き、悲願であるホームイベント初優勝に王手をかけた。一方、総合2位につけていたエバンスはSS12でドライブシャフトの破損によりスピンを喫するという不運に見舞われ、大幅にタイムロス。その時点で優勝戦線からの脱落を余儀なくされたが、さらにはサービスでの修理作業が予想以上に大掛かりなものとなったことでペナルティタイムを科せられ、上位復帰は不可能なほど大きな遅れをとることになった。
ラリー最終日のデイ4、既に大きなリードを築いていたロバンペラだったが、チームに「スーパーサンデー」のエキストラポイントをもたらすべく速いペースを維持。2ステージ連続でベストタイムを刻むなど、引き続き非常に好調だった。2位につけるオジエは「カッレの速さには脱帽だ。自分はチームの1-2フィニッシュ実現に全力を注ぐよ」と、チームプレイヤーとしての戦いに意識を切り替えていた。残るステージは2本、ごく「普通」に走れば、少なくとも1-2フィニッシュは確実だろうと、誰もが思っていたはずだ。ところが、まさかと思える出来事が起こる。最後から2本目のSS19でロバンペラがコースオフ、その場でリタイアとなってしまったのだ。
このステージでは、まずエバンスが路面に多く転がっていた石でクルマのコントロールを失いコースオフ、リタイアを喫していた。エバンスはスーパーサンデーでのポイント獲得に全てをかけていただけに、フィンランドでノーポイントに終わったことは、彼にとっても、チームにとっても大きな痛手だった。しかし、不運はそれだけでは終わらなかった。約46秒という大きなリードを築いていたロバンペラが、ステージフィニッシュ直前の高速左コーナーで、ライン上に転がっていた岩に弾かれて突然グリップを失い、コースから飛び出してしまったのだ。その時僕は、最終のパワーステージで取材をしていて、WRC2優勝目前だったオリバー・ソルベルグの父親、元世界王者のペターさんと話をしていた。そこにロバンペラがコースオフをしたという、衝撃的な情報が飛び込んできたのだ。その瞬間を捉えたオンボード映像を見たペターさんは「2005年ラリー・ジャパンでの自分と全く同じ状況だ。ブラインドの高速コーナーの途中にあれだけ大きな岩があったら絶対に避けられないし、僕の時は足まわりが一瞬で壊れてステアリングが効かず、どうにもできなかった。カッレがミスを犯したというよりも、アンラッキーだったとしか言いようがない。本当に気の毒だ……」と、哀燐の情を示していた。スバルのホームイベントである日本で、優勝を目前にしながら全てを失った彼だけに、ロバンペラの気持ちは痛いほど分かるのだろう。
ロバンペラのまさかのリタイアにより、優勝は総合2位につけていたオジエが手にすることになったが、ウイナーの顔に勝利の喜びは微塵も見られなかった。「起こってはならぬことが起こった。このラリーはカッレが勝つべきだった。自分の勝利を喜ぶことなど到底できない」と、勝者オジエは険しい表情で述べ、何度も何度も首を横に振った。そして、ポディウムでも一瞬だけ笑顔を見せたが、それはファンやメディアに向けた作り笑いであるように、僕には見えた。オジエを取材し続けて約16年経つが、彼は一貫して勝負に対しフェアであり、正々堂々と戦ったライバルの勝利を気持ちよく祝福する男だ。誰よりも速く、素晴らしい走りを続けた僚友ロバンペラが勝利を逃し、チームが1-2フィニッシュを達成できなかったことが、オジエはよほど無念だったのだろう。そして、地元イベントでの勝利数を「6」に伸ばしたTGR-WRTの人々もまた、心から優勝を喜んでいるようには見えなかった。
古賀敬介の近況
ラトビアに2週間、フィンランドに1週間と、7月から8月にかけては長期で北ヨーロッパに滞在していました。気温は日中でも24度前後、夜は15度前後と涼しく非常に過ごしやすかったので、酷暑の日本に帰国すると体が適応できず軽い夏バテ状態に。今なおヘロヘロと日々を過ごしています。なお、今回このコラムで触れることができなかったラリー・フィンランドでの様々な出来事については映像コンテンツ、WRCな日々 番外編「こがっちeyes」を是非見てください!