RALLY SPAIN
WRC 2019年 第13戦 ラリー・スペイン
サマリーレポート
第12戦ラリー・グレートブリテン(GB)で今シーズン6勝目を飾ったオィット・タナックは、ドライバー選手権首位の座を守り、2位セバスチャン・オジエに対するリードを28ポイントに拡大した。しかし、今季ラリーはまだ2戦残っており、オジエだけでなく、選手権3位のティエリー・ヌービルにも逆転王座獲得のチャンスはある。両者ともに近年のWRCを代表するトップドライバーであり、最高の技術と強靭な精神力を備えた名選手である。残る2戦で勢力図が大きく変わる可能性はあり、28ポイントというリードを有していても、タナックとチームに精神的な余裕はなかった。
「前戦のラリーGBもそうだったが、きっと激しい戦いになるだろう。セバスチャンとティエリーは間違いなく全力でアタックしてくるはずだ。しかし、僕らはそれを受けて立つ」
第13戦ラリー・スペインの開幕を前に、ライバルと共に記者会見に出席したタナックは、いつもと変わらずクールだった。
「もちろん緊張はしているし、プレッシャーも感じている。しかし、それがモチベーションを高めてくれるのも事実だ。彼らと全力で戦う準備はできている」
タイトル争いの重圧。過去2年間チャンピオン争いに加わってきたタナックだが、ポイントリーダーとしてシーズン終盤戦に臨むのは初めてだった。これまで経験したことのない、追われる立場の苦しさ。表情にこそ出さなかったが、ラリー開始前のチームミーティングでは、いつにも増して口数が少なかった。ただ自分自身の戦いに集中しようとしても、なかなかそうはできない。ラリーは、サーキットレース以上にメンタルのスポーツだといわれる。走行中、戦うべき相手は見えず、自分のタイムがライバルと比べて速いのか、遅いのかさえ分からないからだ。自分が持つ力をどれだけコンスタントに発揮できるかどうか、そこにかかっている。戦うべき真の相手は、集中力を乱す「邪念」である。
シーズン唯一のミックスサーフェス・ラリーであるラリー・スペインは、初日のデイ1がグラベル(未舗装路)ラリーとして、デイ2とデイ3がターマック(舗装路)ラリーとして行なわれる。通常、ターマックではグラベルほど大きなタイム差がつき難く、そのため初日のグラベルが非常に重要であるとされる。スペインのグラベルステージは、他の多くのイベントと同様ドライコンディションではルーズグラベルが道の表面を覆うため滑りやすく、その「掃除役」を担う先頭走者は絶対的に不利である。ラリーによっては1kmあたり1秒近いハンデがあるとさえいわれる。規則によりフルデイの初日はドライバー選手権のリーダーが1番手でステージに臨むが、その不利を跳ね返し続けた者が最後にチャンピオンとなる。
今シーズン、タナックは多くのグラベルラリーで、先頭スタートの不利を感じさせないような力強い走りをしてきた。しかし、今回のスペインのグラベル路面は例年以上に滑りやすく、先頭走者のタナックにとっては厳しいラリーの幕開けとなった。午前中は4、5番手のステージタイムを記録するに留まり、首位と7.5秒差の総合3位で終えた。通常、午前中のステージが終わればグラベル路面は比較的クリーンになり、同じステージを再走する午後のリピートステージでは、先頭スタートの不利は軽減される。そのため、午後はタイム向上が期待された。
午前中の走行を終えサービスに戻ったタナックは、クルマのセッティング変更を走行2本目に備えた予定通りのもののみ施した。クルマの調子はまったく悪くない。路面が滑りやすかったこと、そして走りのリズムを上手く掴めなかったことが、タイムが伸びなかった原因だと認識していたからだ。しかし、午後のステージが始まってもタナックのペースは上がらなかった。むしろ悪化し、首位と21.7秒差の総合5位に順位を落とした。豪雨の影響なのか路面コンディションは例年よりもトリッキーで、リピートステージでも先頭走者の不利は変わらなかった。それでも、いつものタナックであれば、そこまで大きく遅れることはなかったかもしれない。やはり、チャンピオン争いの重圧がのしかかっていたのだろう。
デイ1が終了した時点で、選手権のライバルのひとりであるオジエは、油圧システムの故障によりパワーステアリングを失い大きく遅れた。しかしヌービルは総合2位につけ、タナックは20秒の差をつけられた。ヌービルも出走順は3番手と比較的早く、彼もまたベストとはいえない路面条件だったが、タイムは良く、その走りには追う者の気迫が感じられた。
グラベルのデイ1が終了し、ターマックのデイ2が始まっても、タナックのスピードは回復しなかった。朝の2本のステージはいずれも5番手タイムに留まり、首位に立ったヌービルとのタイム差は約29秒に広がった。しかし、午前中最後のSS9で初めてベストタイムを記録。ようやく本来の速さが戻ってきた。さらに、午後のステージでは3本のベストタイムを記録。総合3位に順位を上げてデイ2を終えた。
「クルマはとても良かった。タイトル争いのプレッシャーでリズムを掴めず、自分のドライビングができなかっただけだ。これまでも何度もプレッシャーを感じて戦ってきたが、今回はそのレベルが違った。経験したことがないくらいの重圧だった」とタナック。邪念を振り払い、リラックスした気持ちになれたことで、走りのリズムが好転したのだ。
それでも、首位ヌービルも一貫して速く、デイ2終了時点で既に24秒以上の差がついていた。最終日デイ3のターマックステージは4本、約74kmと短く挽回は不可能に近い。一方、総合2位のライバルとは3.1秒差と、まだ十分逆転可能なギャップである。仮に総合3位で終わっても、最終戦ラリー・オーストラリアには十分なポイント差で臨むことができる。難しい決断を迫られたが、タイトルを決めるチャンスがある限りは攻めるべきだと、タナックは全力でデイ3を戦った。しかし、ターマックラリーを得意とするライバルはタナック以上に速く、最後のステージを前にタイム差は5.8秒に広がった。最終のSS17は約21km。同じステージの1回目の走行では、そのライバルがベストタイムを刻み、タナックは1秒差の2番手タイムだった。普通に考えれば逆転はかなり難しい。相手よりも6秒も速いタイムを出すとなると、リスクは格段に跳ね上がる。
攻めるべきか、引くべきか。チームは決断をタナックとコ・ドライバーのマルティン・ヤルヴェオヤに委ねた。タナックが自滅するようなことはないだろう、という信頼の気持ちがあったからだ。クルマのパフォーマンスは十分に高く、信頼性に関しても全力で改善を進めてきた。前戦ラリーGBで大きなトラブルは発生しなかったが、さらなる信頼性向上のために、チームはスペインに向けてもいくつか改良を施した。ドライブシャフトのブーツが破れにくいように工夫し、ギヤを傷めないためにシフトの制御を最適化した。また、ドライバーがより自信を持って運転できるようにと、パワーステアリングのフィーリングも改善した。いずれも地味な変更ではあるが、そういったことの積み重ねがクルマを強く、速くする。タナックに絶対タイトルを獲らせたいという思いで、チームはギリギリまで改善を続けた。あとは、タナックとヤルヴェオヤに全てを託すだけだ。
タナックは攻めた。攻めに攻めた。スタート直後はリズムが乱れたが、素早く気持ちを切り替え、持ち味であるスムーズかつアグレッシブなドライビングを実践。ヤリスWRCはタナックの巧みな手綱さばきで最大の力を発揮し、スペインのターマックステージを疾駆した。先にスタートしたライバル達は既にフィニッシュしているはずだが、彼らのタイムを知る術はない。ただひたすら自分の走りをするだけだ。タナックは澄んだ気持ちで21kmの峠道を攻め切り、10分49.6秒というタイムでフィニッシュ。2番手タイムの選手よりも3.6秒速く、総合2位の座を競っていたライバルを6.1秒も上回るベストタイムが記された。その結果、0.4秒差で逆転に成功し、総合2位でラリーをフィニッシュ。最終SSは「パワーステージ」でもあったため、最大ボーナスの5ポイントも獲得し、最終戦を待たずしてタナックとヤルヴェオヤは世界王者に輝いた。彼らにとっては初のワールドタイトルであり、トヨタにとっては1994年のディディエ・オリオール以来となる、四半世紀ぶりのチャンピオン誕生だった。
パワーステージのタイムコントロールでヤリスWRCを止めたタナックは、ヘルメットを脱いでクルマから降りると、その場で待っていた家族とかたく抱き合い、喜びを分かち合った。そしてヤリスWRCのルーフにヤルヴェオヤと共に立ち、両手を空に掲げた。絶叫し全身で喜びを表現したヤルヴェオヤに比べれば、タナックの感情表現は抑え気味に見えた。しかし、クルマから降り、フロントに光るトヨタのエンブレムに口づけをしたタナックの瞳は、じんわりと潤んでいた。
多くのカメラやマイクが向けられ、もみくちゃとなったタナックに、長らくWRCの頂点に立ち続けてきたオジエとセバスチャン・ローブが歩み寄り、爽やかな笑顔で握手を求めた。そして、ラリーを制しタイトルを落としたヌービルも、タナックと抱き合いお互いの健闘を讚えあった。健全で清らかなライバル関係。全力を尽くして戦ったからこそ、相手の成功を心から祝福できる。その清々しい光景は、ラグビーのノーサイドを連想させ、世界最高の戦いのフィナーレに相応しいものだった。
ラリー終了後、タナックの表情は明らかにスタート前よりも和らいでいた。
「この週末は、これまでに経験したことがないくらい大きなプレッシャーを抱えて戦った。乗り越えるのは簡単ではなく、どうやって対処したら良いのか、なかなか分からなかった。しかし、これまで何度も難しい問題をクリアしてきた経験が役に立った。何とかリラックスしようと務め、それができたからこそ良い結果を得ることができたと思う。ようやく重圧から解放され、ホッとしている。これまで自分を支え続けてくれたチームのみんなに感謝したい」
地中海に面したビーチサイドの表彰式では、タナックのタイトル獲得を支えたTOYOTA GAOO Racing WORLD Rally Team(WRT)のスタッフ達も壇上に立ち、南欧の眩い太陽の光に負けないくらい明るい笑顔でつかの間のセレモニーを楽しんだ。タナックの担当エンジニアであるポール・マーフィーは感極まり、笑いながらも大粒の涙をぼろぼろと流した。いいクルマを作ったという自信はあったが、何度かトラブルで勝機を逸したのも事実。何としてでもタナックにチャンピオンになって欲しい、その一心で開発努力を続けてきた。それが、ようやく報われたのだ。マーフィーもまた、心の重圧から解放されたのである。テクニカルディレクターのトム・フォウラーも感無量だった。TOYOTA GAOO Racing WRTに加わる以前は、他のチームでWRカーの開発に従事し、既にマニュファクチャラーズタイトル獲得の喜びを経験していた。そして昨年はヤリスWRCをチャンピオンカーに導いた。しかし、これまでドライバーズタイトルの獲得を祝ったことは1度もなかった。自分達のクルマで世界チャンピオンを生み出したい。その思いを抱き続けてきた。そしてついに、積年の夢がタナックによって叶えられたのだ。
一方、マニュファクチャラーズタイトル争いは厳しい状況になった。デイ2の開始直後総合3位につけていたクリス・ミークは、クラッシュでデイリタイアを喫し総合29位でラリーを終えた。チームの逆転タイトル実現のため、全力でライバルとの順位争いに挑んだ末のクラッシュだった。そのミークからマニュファクチャラーポイント獲得の使命を受け継いだヤリ-マティ・ラトバラは、安定した走りを続け総合5位でフィニッシュ。タナックと共にポイント獲得に大きく貢献したが、首位チームとの差は18ポイントに広がってしまった。残る1戦での挽回は極めて困難だが、それでも諦めはしない。最後までベストを尽くして戦い、最上の結果を求める先に道は拓ける。2019年シーズンの締めくくりとなるラリー・オーストラリアに、チームは不退転の覚悟で臨む。
順位 | ドライバー | コ・ドライバー | 車両 | タイム | |
---|---|---|---|---|---|
1 | ティエリー・ヌービル | ニコラス・ジルソー | ヒュンダイ i20クーペ WRC | 3h07m39.6s | |
2 | オィット・タナック | マルティン・ヤルヴェオヤ | トヨタ ヤリス WRC | +17.2s | |
3 | ダニ・ソルド | カルロス・デル・バリオ | ヒュンダイ i20 クーペ WRC | +17.6s | |
4 | セバスチャン・ローブ | ダニエル・エレナ | ヒュンダイ i20 クーペ WRC | +53.9s | |
5 | ヤリ-マティ・ラトバラ | ミーカ・アンティラ | トヨタ ヤリス WRC | +1m00.2s | |
6 | エルフィン・エバンス | スコット・マーティン | フォード フィエスタ WRC | +1m14.2s | |
7 | テーム・スニネン | ヤルモ・レーティネン | フォード フィエスタ WRC | +1m47.6s | |
8 | セバスチャン・オジエ | ジュリアン・イングラシア | シトロエン C3 WRC | +4m20.5s | |
9 | マッズ・オストベルグ | トシュテン・エリクソン | シトロエン C3 R5 | +8m24.6 | |
10 | エリック・カミリ | ベンジャミン・ベイラス | シトロエン C3 R5 | +8m47.2s | |
29 | クリス・ミーク | セブ・マーシャル | トヨタ ヤリス WRC | +42m20.0s |