スペシャル

レーシングドライバー木下隆之の
ニュルブルクリンクスペシャルコラム

Mr.ニュル(木下隆之)がTOYOTA GAZOO Racing ドライバーを語る 木下隆之×モリゾウ選手Mr.ニュル(木下隆之)がTOYOTA GAZOO Racing ドライバーを語る 木下隆之×モリゾウ選手

 ニュルブルクリンクという特殊性の高いサーキットと、その過激なサーキットに魅せられたドライバー達のパーソナリティを紹介するべく立ち上がったこの特別短期連載コラムも、今回で4回目を迎える。
 これまで、3台のマシンをそれぞれチーム分けし、普段は公にされることのないドライバーの裏の表情を、ちょっと悪戯心を含めて焦点を当ててきた。初回はLEXUS RCの松井孝允と蒲生尚弥のダメダメ性格を紹介。続くはTOYOTA C-HR Racing組の影山正彦と佐藤久実。メンバーを震え上がらせる任侠精神を露にした。LEXUS RC Fチームを紹介した3回目では、ひとたびサーキットを離れれば豹変する猛者どもの、身の毛もよだつ悪趣味の数々を暴露。嫌がるメンバーの、いわば他人の恥部を曝け出すという週刊文春もたじろぐほどのペンの暴力を振りかざしてきたわけだ。

レーシングスーツ姿のモリゾウ選手

 そして今回は連載4回目…。

 そこではたと困った。いきなり筆が重くなってしまったのだ。
 というのも、ここにきて、なにか大きな存在が欠けていることに気がついた。無礼切腹を承知で言わせてもらうならば、「モリゾウ選手」もTOYOTA GAZOO Racingドライバーの一員である。ともにステアリングを握って戦ってきた同志である。氏の裏の顔を暴露…、いや、素の表情をお伝えしなければ、連載が完結しない。
 とはいうものの、冷静になればモリゾウ選手の表の顔は、トヨタ自動車代表取締役社長・豊田章男である。その肩書きを前に、一旦は握ったペンが、力の抜けた指からポロリと落ちたのだ(笑)。


モリゾウ選手はサーキットを訪れると、こう言って良ければ、「好奇心旺盛のクルマ好き」に変身する。世界最大の自動車メーカーという巨艦を操舵する、代表取締役社長という物々しさはない。現場主義の豊田社長らしく、サーキットという現場でハンドルを握る一人のドライバーでしかないのだ。これほどの立場なのに、目線は庶民と同じ高さにある。
 10年前にニュルブルクリンクのパドックで初めて出逢った時、装備品チェックの列に並んでいるモリゾウ選手の姿をみて驚いたことがある。一般的にはマネージャーがこなす雑務を、自ら率先してこなしていたのだ。

トヨタ自動車代表取締役社長・豊田章男氏

TOYOTA GAZOO Racingドライバーメンバー

木下「どなたかに、代行してもらってもいいんですよ」
モリゾウ「いや、こうして並ばなければ参加したことにならない」
木下「でも、まだまだ時間がかかりますよ」
モリゾウ「いや、こうして並ぶのも楽しいんですよ」
 すべてを吸収しようとする姿に感動したことがある。

 ラウンジで、僕らのような庶民ドライバー用に準備されていたインスタント麺やレトルト食品を、まるで家族旅行で訪れたホテルの朝食会場で、ワクワクとしながらバイキングに並ぶ子供のようなくったくのない笑顔で手にしていたことを思い出す。
木下「社長、好きなものを言ってくだされば、作りますよ」
モリゾウ「いやいや、たくさんあるから迷っちゃうなぁ〜」
 生まれも育ちもセレブには違いないのだが、圧倒的な好奇心が氏の人間らしさが露になるのだ。


 それでも、ムカついたことがある。
(モリゾウ選手が、このコラムを読まないことを祈って白状しよう)
 数年前のこと、モリゾウ選手がVLN6時間を戦うことになっており、ニュルのドライブが久しぶりだった。そんな理由もあって、直前のテスト走行でコースを習熟しようとなった。僕が先導車のドライバーを努めたのだ。
 ライン取りや走行のリズムを伝える、一般的に行われているトレーニング方法だ。この日は、LEXUS LFAのステアリングを握るモリゾウ選手を、LEXUS IS F CCS-Rに乗る僕が先導するという形で行われていた。

2014年ニュル参戦車両 LEXUS LFA 48号

 僕はバックミラーでモリゾウ選手の走りを監視しながら、かなりのハイペースで走行を続けていた。背後のモリゾウ選手は、僕との間隔を一定に保ちながら追走してくれていた。僕の走行パターンを真剣に習得しようとしてくれていたのである。
 だが、ある場所に差し掛かると、ドライビングパターンが変化した。それに気がついたのは、先導走行を始めてから数周後のことだ。
 それはグランドスタンド前の1コーナーであり、キャンプサイトが取り囲むシュテイルシュトレックであり、通称ギャラリーコーナーと呼ばれるエッシュバッハだった。そのコーナーに差し掛かると、あきらかに僕との間合いを詰めてくる。時には走行ラインを半車身イン側にずらす。ヘッドライトも点灯させていた。そこには多くの観客が鈴なりになっている。

真剣な表情のモリゾウ選手と木下選手

 オフィシャルは、後続車にラインを譲りなさいとばかりに、僕に対してブルーフラッグを振る。
 さらに翌周も、その場に差し掛かると同様に、間隔をギリギリまで詰めて、威嚇するような素振りを見せる。そこでもまた、僕はブルーフラッグを振られる。観客でさえ、中指を立ててブーイングするありさまだ。
 それが多くの観客の目にはどう映ったか。僕は、「あの天下の豊田社長の進路を邪魔する不届き者」、そんな負のレッテルを貼られたのである。

笑顔のモリゾウ選手と木下選手

 これがモリゾウ選手のサービス精神の現れなのだろうが、餌食にされた僕はたまらない。はっきり言って、ムカついたのである(笑)。
 それならばこっちだって意地とプライドがある。サーキットのキャリアなら、こっちが上だ。代表取締役社長だろうが誰だろうが容赦はしないぞとばかりに、背後に回って攻撃しなおそうと企んだ。
 だが、それには涼しい顔をして応じようとしない。そうこうしていると、さらに間隔が詰まるから、激しくブルーフラッグが振られる。ブーイングが高鳴る。その繰り返し。ムカついたのである。

 ならば逆に、アクセル全開でブッチギッて置き去りにしてやろうと試みたのだが、敵は650psのLEXUS LFA(ムカつくから、あえて'敵'と言わせてもらおう)、こっちはLEXUS IS F CCS-R。逃げ切れるはずもなく、むしろ、間合いを一層詰めて、完全なあおりモード。先導走行ドライバーを勝手に指名しておいて、まんまと餌食にするのである。
 クルマ作りのオーナーシェフとして開発に携わる一方で、ひとりのアスリートとして高速バトルを楽しむ。そんなモリゾウ選手だった。


モリゾウ選手と大嶋選手

 走行が終わった晩に、いつものイタリアンレストランで会食があった。その場で僕は、コース上で起ったことの顛末とムカつきを皆に披露したのだが、当のモリゾウ選手はしたり顔で笑い転げるばかり。腹を抱えながら、爆笑していたのである。その様子は経営トップとして普段みせる顔ではなく、ひとりの運転好きのカーガイそのものだったのである。

 打ち上げの席では、僕の身になってくれるドライバーなど一人もおらず、人の不幸を肴に盛り上がる始末。腹を抱え、指を指して大笑いしていたのだ。
「こんなトップのもとではレースができない(怒)。アストンマーチンに移籍したい」
 そう宣言したものの、誰も引き止めようともせず、むしろ「さよなら〜」の大合唱。その中でも誰よりも顔をくしゃくしゃにして大笑いしていたのがモリゾウ選手。
 その晩はまるで、学生の打ち上げコンパの席のようになった。まったくムカつくのである。


 モリゾウ選手にムカついたのは、僕だけではなさそうである。
 ニュルブルクリンク24時間のドライバーズブリーフィングが始まろうとしているその時、モリゾウ選手をみつけたカメラマンが、レンズを向けはじめた。さすがにこの過酷なレースに挑もうとする代表取締役など希有な存在だし、有名人である。ファインダーに収めたくなる気持ちも理解できる。

 すると氏は、カメラマンがシャッターに指をかけるその瞬間を見計らって、カメラマンが期待する表情を浮かべた…のではなく、まるで子供のように「変顔」をした。鼻の下をビヨ〜と伸ばしたり、ギョロギョロと寄り目をしたのである。
 カメラマンはおそらく、代表取締役社長・豊田章男のシリアスな表情を求めていたに違いない。
「緊張感に身構える豊田章男」
「クルマの聖地ニュルに挑む豊田章男」
 おそらくそんなタイトルに相応しい写真を収めようとしたかったはずだ。だと言うのにモリゾウ選手は、ファインダーを構えるたびに変顔を作る。せっかくのシャッターチャンスが台無しだ。
 それにあわせて僕らも、変顔を作った。そして爆笑。そこには、難攻不落なニュルブルクリンクに挑まんとする猛者の面影はない。
「小学生か!」とツッコミたくなるところである。

2015年ニュル参戦後のLEXUS RCチーム

 それで僕らの気持ちは和んだ。ニュルブルクリンク24時間を前に、僕らの緊張感は高まっていた。ドライバーズブリーフィングには、欧州の猛者どもが顔を並べている。世界的に有名なドライバーも少なくない。彼らにとってはホームのニュルブルクリンクであって、僕らにとってはアウェーだ。威圧されそうになっていた。そんな、時に萎縮しそうになり顔を強張らせていた僕らの気持ちを、解きほぐそうとしてくれたのだと思う。
 常に衆目に晒され、修羅場をくぐり抜けてきたモリゾウ選手の器のでかさと、優しい気遣いの凄さを思い知らされたのだ。

2015年ニュル参戦後の集合写真

 いったん社長室を離れれば、豊田章男社長はモリゾウ選手に変身する。そこには馬上で旗を振る殿様の貫禄とは違った、ひとりのカーガイとしての庶民性が同居するのだ。
 そんなモリゾウ選手に僕らは魅せられている。