モータースポーツジャーナリスト 古賀敬介スペシャルコラム 「ル・マンな日々」前編

ハイパーカー元年、
より険しくなった天王山に挑む
TOYOTA GAZOO Racing 2021 ル・マン24時間レース/プレビュー

当ウェブサイトのWRC取材コラム「WRCな日々」でお馴染みのモータースポーツジャーナリストの古賀敬介さんは、WEC(世界耐久選手権)も取材を長年続けています。そこで2021WEC第4戦ル・マン24時間においても、古賀さんの特別コラムをお送りすることになりました。今回は、取材者の鋭い視点よる今季WECの現状と、もう間もなくとなったル・マン24時間に臨むTOYOTA GAZOO Racingの状況を語っていただきます。

ル・マン前哨戦で可夢偉選手が
発した厳しい言葉

 耐久レース新時代の幕開け。2021年のWEC(世界耐久選手権)は、大きな注目を集める中5月に開幕しました。コロナ禍により今シーズンもイレギュラーなレースカレンダーとなり、シリーズは全6戦で開催されます。そして、TOYOTA GAZOO Racingは開幕から3連勝を飾り、ドライバー、チームとも選手権トップでシーズン前半戦を折り返しています。ここまで非常に順調に戦いを進めていますが、第3戦モンツァ6時間でチームメイトと共に今季初優勝を遂げた小林可夢偉選手は、レース終了後「ル・マンでは絶対に許されない信頼性の問題が発生した。まだ相当な努力が必要だということを示した」と、厳しい言葉でレースを振り返りました。

第3戦 モンツァ6時間 スタートシーン小林可夢偉

 可夢偉選手が言うように、モンツァ6時間では多くのトラブルが、デビューイヤーの「GR010 HYBRID」に発生しています。可夢偉選手がドライブした7号車は週末を通して非常に速く、決勝レースでも首位を快走していました。しかし、スタートから4時間が過ぎた頃、車内にエラーメッセージが表示され、クルマをコース脇に止め再起動する必要に迫られています。幸いにもすぐに再スタートして、最後まで首位を守り切りました。しかし、再起動にもう少し時間がかかっていたら、勝利を逃していた可能性もあります。一方、開幕2連勝で選手権をリードしていた中嶋一貴擁する8号車は、燃圧系などのトラブルに見舞われました。複雑な燃料系部品交換のためピットで48分間を過ごし、表彰台争いから脱落。総合33位でレースを終えています。

セバスチャン・ブエミ、中嶋一貴トラブルに見舞われ緊急ピットインするGR010 HYBRID 8号車

 このモンツァは、続く第4戦ル・マン24時間レースの前哨戦と位置づけられており、だからこそ可夢偉選手は優勝したにも関わらず、トラブルが頻発した厳しい現実を直視し、兜の緒を締めなくてはならないと実感したでしょう。しかし、視点を変えれば収穫の多いレースだったともいえます。WECの象徴であり、他のレース以上の高得点を獲得可能なル・マン24時間を前に、問題点が多く洗い出されたからです。「このトラブルが、ル・マンで起きなくて良かった」と感じたチーム関係者は少なくなかったはずです。

途中トラブルがありながらも第3戦 モンツァ6時間を制したGR010 HYBRID 7号車

ハイパーカー元年を先駆けとして挑む
GR010 HYBRID

 TS050 HYBRIDからGR010 HYBRIDへ。1991年から積み重ねられてきたナンバーは、リセットされました。2021年、WECは車両レギュレーションおよび枠組みが大きく変わり、長年に渡りトップカテゴリーを支えてきた「LMP1」が消滅。その代わりに、これからのWEC新時代を担う「ハイパーカー」が新たに導入されました。これはより多くの参加者を集め、コンペティティブなレースを実現するために導入された最高峰クラスです。その注目度は非常に高く、2022年にはプジョーが、2023年にはフェラーリが参戦を表明しています。また、それ以外にも多くのマニュファクチャラーが興味を語り、参戦を示唆しており、WECの近未来は非常に明るいでしょう。
 ただし、今シーズンに関しては過渡期として位置づけられ、ハイパーカー・カテゴリーにはトヨタ GR010 HYBRID、アルピーヌA480ギブソン、グリッケンハウス007の3車種が参戦。そのうちハイブリッドシステムを搭載するのはトヨタだけであり、他の2台は純粋なエンジン車です。また、アルピーヌに関しては前年までのLMP1に準じたクルマで、今シーズンに関しては特例により参戦が認められているものです。

TS050 HYBRID 7号車 8号車GR010 HYBRID 7号車 8号車

 このように、ハイパーカー・カテゴリーは色々な仕様のクルマが混在していますが、その性能差をできるだけ減らし、レースを盛り上げるため、BoP(バランス・オブ・パフォーマンス)という性能調整策が採用されています。性能調整は既に以前から様々な形で導入されていましたが、ハイパーカー元年の今季はそれがさらに強化され、突出したスピードを示すことがより難しくなりました。いいクルマ、速いクルマを作ったからといって圧倒的に優位になるわけではありません。高いアベレージを維持したまま、いかにミスなく最後までレースを戦い抜くかが、以前よりもさらに重要になったのです。

ピットガレージで走行を見守るTOYOTA GAZOO Racingチーム

強い危機感を抱えたままで
天王山ル・マンに臨む

 開幕戦のスパ・フランコルシャン6時間で、GR010 HYBRIDの8号車はアルピーヌA480との僅差の首位争いを制し優勝を飾りましたが、7号車は数々のトラブルで3位に留まっています。第2戦ポルティマオ8時間では8号車が優勝し、7号車が2位と1-2フィニッシュを決めましたが、予選ではアルピーヌA480にポールポジションを許しています。このように、毎戦万事順調というわけではなく、厳しい予選、決勝を戦い抜いて手にした開幕3連勝なのです。故に、TOYOTA GAZOO Racingの誰もが「少しのミスも許されない」と強い危機感を持って各レースを戦い、天王山ともいえるル・マン24時間に臨もうとしています。

第2戦 ポルティマオ8時間 スタートシーンアルピーヌA480 36号車とバトルを演じるGR010 HYBRID 7号車

 ル・マン24時間でのTS050 HYBRIDは、年々締めつけが厳しくなっていった技術の性能均衡化策(EoT)にも関わらず、安定性の高さと、コーナーの立ち上がりでフルに発揮されるハイブリッドブースト、つまりモーターアシストによる圧巻の加速により、ライバルに差をつけ勝利を重ねてきました。しかし、LMP1からハイパーカーに移行したことにより、今年は例年以上に難しい戦いを強いられるでしょう。
 TS050 HYBRIDでは前後に2基搭載していたモーターは、規則によりフロントのみとなりました。それに対応すべく、V6エンジンは排気量が2.400ccから3.500ccへと拡大され、ハイブリッドシステムも全面的に見直されています。またボディワークでは、これまで「ハイダウンフォース」に、ル・マン専用ともいえる「ローダウンフォース」の2タイプを用意することができましたが、これが1タイプのみに制限され、ル・マンに特化したエアロダイナミクスの開発は不可能になりました。そのような性能を抑制するレギュレーションによって、今年のル・マンでは1周10秒程度、以前のLMP1より遅くなるのではないかと考えられています。

ハイダウンフォース仕様のTS050 HYBRID 8号車ローダウンフォース仕様のTS050 HYBRID 7号車

 LMP1では1周に使える燃料使用量に制限がありましたが、ハイパーカーではそれが撤廃され、一般的なレーシングカーに近い感覚でドライブできるようになったと、ドライバーには概ね好評です。可夢偉選手は、今までよりも周回遅れのクルマを自然に抜かすことができるようになったと言います。一方で、ツインモーターによる強力なハイブリッドブーストが得られなくなったことは、24時間レースを戦う上ではマイナス要素になるでしょう。特にコーナーの立ち上がりで一気に抜き去ることが難しくなることは大きいです。僅差で優勝争いをしているような状況では、ある程度リスクを冒しコーナリング中にラインを変えて抜く機会も増えるでしょう。レコードライン外にはタイヤかすやパーツの破片が散らばっていることが多く、そうなるとパンクの可能性も高まると考えられます。

LMGTE Amクラスを抜きにかかるGR010 HYBRID 8号車

モンツァのトラブルを
ポジティブに変換しよう

 このように考えると、2021年のル・マン24時間は、デビューイヤーのGR010 HYBRIDにとって確実にタフな1戦になるでしょう。ライバルとの性能差が縮まるのは規定上避けられないことであり、だからこそ壊れないクルマ、ミスのないドライビングが求められるのです。アルピーヌA480は実績十分なLMP1がベースであり、チーム、ドライバーの経験値も申し分ありません。また、グリッケンハウス007は新規開発車両ではあるが、ベースの性能はかなり高く、ドライバーも腕のある猛者が揃っています。
 そのような競争力の高いライバルとの戦いに勝ち、ル・マン24時間レース4連勝を実現するため、TOYOTA GAZOO Racingには僅かなミスも許されません。モンツァ6時間で経験した多くのトラブルを、いかにポジティブなエネルギーに変換することができるかが、勝負の鍵となります。今年のル・マン24時間は、新型コロナウイルス禍によるイレギュラーな真夏の開催となりました。決勝スタートの8月21日は、もう間もなくです。

2018-19 第8戦(最終戦)ル・マン24時間レース
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