7号車の初優勝にあった多くの苦闘
初優勝の可夢偉選手と讃える一貴選手にひとり祝杯を挙げる
2021 ル・マン24時間レース/レビュー
WEC(世界耐久選手権)とル・マン24時間の取材を続けるモータースポーツジャーナリストの古賀敬介さん。今年のル・マン24時間のゴールでは、7号車と可夢偉選手の初優勝に歓喜したそうです。しかし、その後はジャーナリストとして今年のTOYOTA GAZOO Racingの戦いをつぶさにレポート。「ル・マンな日々」後編では、ル・マン4連覇と7号車の初勝利の裏側にあった苦闘と、日本人ドライバー2人の絆にフォーカスしています。
古賀さんのWRC取材コラム「WRCな日々」もよろしくお願いします。
その瞬間「おめでとう、
可夢偉選手!!」と心の中で叫ぶ
ついに、その瞬間が訪れました。小林可夢偉選手がル・マン24時間出場7回目、トップカテゴリーに挑み6回目で表彰台の最上段に立ち、チームメイトと共に特大の優勝トロフィーを頭上に掲げたのです。
そのシーンを見た僕はジャーナリストとしての取材で心掛けている"できるだけフラットで"という感情のリミッターを今回ばかりは外して、心の中で叫びました。「おめでとう、可夢偉選手!! そして7号車の皆さん!」と。もはや特別な気持ちが湧き上がるのを、抑えることはできませんでした。なぜなら、勝てそうで勝てず、何度も何度も悔しい気持ちをぐっと飲み込んできた、可夢偉選手のこれまでの姿が頭に浮かんだからです。
2013年に可夢偉選手が初めて出場した時から、ル・マン24時間での戦いを現地で追ってきました。2016年にはトップチームであるTOYOTA GAZOO Racingに加入したことで「彼がル・マンを制するのは時間の問題だろう」と考えていたのです。F1で世界的なトップドライバーと互角に戦った可夢偉選手のドライバーとしての実力は、疑いようがなかったからです。
実際、予選での可夢偉選手の速さは圧倒的で、2020年大会までに3回もポールポジションを獲得していました。しかし"その瞬間"はなかなか訪れません。チームメイトでありライバルでもある中嶋一貴選手が3連覇を果たす陰で、可夢偉選手はルーザー(敗者)であり続けました。様々な理由で、掴みかけていた勝利を何度も逃してきたのです。レース後の取材で、落胆し、憤り、でも気丈に振る舞おうとする可夢偉選手を見てきました。勝つために全力を尽くして挑むも、なかなか振り向いてくれないル・マンの女神。近年、可夢偉選手が発する言葉には「生きかた」や「運」といったワードが多く含まれているように思います。運を掴むためには、たとえ勝てなくても全力で挑戦を続けるしかない。それが、ル・マンというレースなのだ。そう悟ったのか、可夢偉選手は年を追うごとに自然体でレースに臨むようになっていったように、僕には見えました。
襲いかかる困難の連続。
ついに8号車にあのトラブルが発生する
ハイパーカー元年となった今年、TOYOTA GAZOO Racingは新開発のGR010 HYBRIDでWECのシーズンをスタートしました。レギュレーションが大きく変わり、これまでのTS050 HYBRIDとは大きく異なる構造のクルマでのチャレンジとなりました。このため、ル・マンまでに行なわれた3戦はブランニューカーならではの初期トラブルがいくつも発生しています。GR010 HYBRIDは開幕3連勝を果たすも、若干の不安を残して第4戦ル・マンを迎えることになりました。特に、第3戦モンツァ6時間で8号車を襲った燃料系のトラブルは大きな懸念事項でした。しかし、ル・マンに至ってもトラブルは完全には解決されていなかったようで、レース終盤に大きなドラマを巻き起こす原因となったのです。
今年のル・マン決勝は、雨のスタート直後から大波乱の展開でした。予選2番手からスタートしたセバスチャン・ブエミ選手駆る8号車が、シケインで後続のライバルに追突され最後尾まで順位を大きく落としてしまったのです。幸いにもクルマのダメージは軽微で、その後ブエミ選手は驚くようなスピードで追い上げ、首位を快走する7号車に次ぐ2番手まで順位を回復しました。そこからGR010 HYBRIDの1-2体制となりましたが、その後は2台ともパンクに見舞われるなど決して安泰とは言えない状況でした。それでも、7号車と8号車は激しく首位を争い続けました。そして迎えた日曜日の朝。深刻な問題が8号車に萌芽したのです。恐れていた、あの燃料系のトラブルでした。
驚くべきトラブル対策を決断。
ドライバーたちが難しい操作を毎周続ける
その時、8号車は一貴選手がステアリングを握っていましたが、本来の予定よりも4周短い周回数でピットに呼び戻されました。燃料タンク内のガソリンをすべて使うことができず、本来の周回数で走るとガス欠で止まってしまう可能性があったからです。その後、一貴選手に代わったブエミ選手がドライブする間に症状はさらに悪化。コース上で一度クルマを止めて解決策を探る姿も見られました。問題の原因はある程度推測され、燃料タンクを交換すれば普通に走れるようになる可能性もあったようです。しかし、交換をするためには約30分というピット作業が必要となり、それは即ち優勝争いからの脱落だけでなく、表彰台獲得も難しくなることを意味するものでした。
燃料タンクの交換なしに、ロスタイムをなるべく少なく抑え最後まで走り切る術はないものか? レースが進む中、チームはあらゆる部門のエンジニアがアイディアを出し、解決策を探りました。村田久武チーム代表によれば、燃料タンク内から燃料を吸い上げる燃料ポンプのフィルターに何かしらの理由で不純物がへばりついて詰まってしまい、燃料を上手く吸い上げることができなくなっていたとのこと。その結果、燃圧が下がるようになってしまったのです。抜本的な解決方法は燃料タンクの交換以外にありませんでしたが、少しでも症状を和らげるために驚くべき対策方法がエンジニアから提案されました。それは、燃料ポンプの作動を一時的に止めるという荒技です。
もちろん、燃料ポンプが止まればエンジンに燃料が供給されず、動力は得られなくなります。しかし、ブレーキングでアクセルをオフにしている間ならば燃料ポンプを止めることは可能であり、へばりついた不純物を少しの間は開放することができるかもしれません。ただし、そのためにはドライバーがブレーキの踏み方を変えたり、手動で燃料ポンプを止めるなど、今までやったことがないような複雑な操作を走りながら行なう必要がありました。クルマのメカニズムに精通し、理論的なドライビング技術に長けているブエミ選手は、しかしその難しいミッションを冷静にこなし、エンジニアからのさらなる提案も反映していきました。その結果、燃圧の低下はかなり抑えられるようになりましたが、それでもまだ十分ではなく、走りながらドライバーがすべき操作はどんどんと複雑になっていきました。
7号車にも同様のトラブルが!
ラストスティントの可夢偉選手に
掛かる重圧
レース終盤、一貴選手が最後の3スティントをスタートした時、彼らの8号車は、7号車に対し1周程度の遅れをとっていました。一貴選手によれば走りながらのスイッチ操作頻度はトラブル発生初期よりも格段に増え、ほぼ毎コーナーでステアリング上のスイッチを操作する必要があったようです。それでも、本来13周を走れるはずが、6周でピットに入らなければならないほど状況は厳しく、データを監視しているチームは少しでもガス欠症状の兆候を見つけると、迷うことなく8号車をピットに呼び戻していました。1周が13kmと長いル・マンでのガス欠は、リタイアを意味するからです。非常に大きなプレッシャーがかかり、なおかつ複雑な操作が求められるストレスフルな状況下で、3年連続ル・マン勝者である一貴選手は集中力を絶やさず、クルマをゴールまで運ぶことに専念しました。
ちょうど同じ頃、7号車も同様のトラブルに遭遇していましたが、症状は8号車よりは軽く、また8号車が生み出した対処方法を取り入れることにより、着実にル・マン初優勝に向けて周回を重ねていました。そして迎えた最後のスティントで、ステアリングを託されたのは可夢偉選手でした。悲願のル・マン初優勝を自身のドライブで実現する、記念すべき時がついにやって来たのです。
実は可夢偉選手、「最後のスティントは走りたくなかった」と後に告白しています。「(トラブル対応のため)新たな操作をしなければならないことが不安でしたし、これまでも自分が乗っていた時に何かが起きていたので。ここで壊れたら、いいストーリーが全部終わってしまいますからね」。しかし、大きなプレッシャーを感じながらも、可夢偉選手は7号車に乗り込みました。「豊田章男社長や、佐藤(恒治)GRカンパニー・プレジデントなど、いろいろな人が多くのメッセージを送ってくれて、それが力になりました。本当に感謝しかありません」と、その重圧を共に支えてくれた声や手があったことを後に教えてくれました。
可夢偉選手の優勝を
心から喜ぶ一貴選手と、
彼をリスペクトする可夢偉選手
そんなプレッシャーの中、最後のスティントを担った可夢偉選手は完璧な仕事でクルマをフィニッシュまで運び、遂に初勝利を掴んだのです。ウイニングカーとなった7号車の横に、8号車が並び、一貴選手はボディアクションで可夢偉選手の初勝利を祝福しました。一貴選手自身は4連覇を逃しましたが、今回は7号車と可夢偉選手が勝つべきレースであるという気持ちがあり、僚友の勝利を心から喜んでいるように見えました。レース終了後のオンライン取材で、一貴選手は「もちろん勝ち続けたいという想いはありましたが、毎回勝てるものではないことは分かっています。勝てなかったことよりも、自分達がやるべき仕事をミスなくできた充実感の方が大きいです」と述べました。
思い返せば、7号車は2019年にル・マン初優勝まであと1時間というタイミングでパンクを喫し、その座を逸しました。その結果8号車は2連覇を達成したのですが、勝った一貴選手の表情に心からの喜びは見られませんでした。勝てるはずだったレースで勝利を逃した可夢偉選手の気持ちを考えると、喜ぶ気持ちにはなれなかったようです。しかし今年、敗者として表彰台に立った一貴選手は、実に爽やかな顔をしていました。プロのレーシングドライバーとして仕事をやり切った満足感、そして可夢偉選手の初勝利を見届けることができた嬉しさが、強く感じられました。
「一貴をリスペクトしています」と、可夢偉選手。「一貴は毎年のように最後のスティントを担当し、あのプレッシャーの中で走っているというのは凄いことです。最後の最後で、不安要素しかない中でミスをしないように淡々と走るのは、並大抵の精神的な強さではありません。実際に自分がやってみて、一貴の凄さがよく分かりました」
可夢偉選手の言葉には、他にも一貴選手に対する尊敬の気持ちが溢れていました。そこで思い出したのは、2016年大会の「ラスト3分の悲劇」です。初優勝目前でクルマが止まり悲嘆にくれる一貴選手を、レース後ホスピタリティで「一貴、お疲れ」と慰める可夢偉選手の言葉と表情は、深い慈愛に満ちていました。チーム内ライバルではなく、実の兄弟のように見えたものです。そして、2019年に勝利を逃した可夢偉選手を労る一貴選手の姿も忘れられません。それだけに、今回は可夢偉選手が優勝し、それを心からの笑顔で祝福する一貴選手を映像で見た時、彼らだけでなく僕も気持ちがスッと楽になったのです。「おふたりとも、本当にお疲れさまでした」と、画面の前でひとり僕は缶ビールで祝杯を挙げました。
"ル・マンの女神"の笑顔を
見続けるためには大変な努力が必要だ
オンラインの優勝会見でとても印象的だったのは、可夢偉選手がまるで解脱した求道者のように見えたことです。ル・マンで勝った喜びを控えめに語りながら、何度も「感謝」という言葉を口にしました。「ゴールした時心に浮かんだのは、走れること、チャンスをもらえたことに対する感謝の気持ちです」「(今年亡くなった)父親が僕のレースをすごく応援してくれたので、それを思い出しましたし、感謝もしています。父親がル・マンの神様にお願いしてくれたのかなと思ったりもしましたが、それも含めこのレースで勝てたことに、父親だけでなく応援してくれたすべての人に感謝したいです」と、可夢偉選手。燃料系トラブルの解決方法を見つけた、チームのふたりのエンジニアに対する感謝の言葉も忘れませんでした。「2人のうち1人は、血圧が上がって医務室で4時間くらい休んで戻って来て、体調が悪いのに解決策を見つけてくれました。そういった情熱がある人達がいたからこそ、2台ともガレージに入ることなくゴールすることができたのです」。
可夢偉選手はさらに、ル・マンというサーキットに対する感謝の気持ちも述べました。「今年はル・マンに入る時に『よろしくお願いします』と、レースが終わって帰る時に再びコースに立ち寄り『ありがとうございました』と言って帰りました。過酷なレースで、今年も強烈な雨が降ってきてパニックになった時もありました。でも、大きなクラッシュもなくレースを終えることができました。無事にゴールさせてもらったので、『ありがとうございました』と言えないと、来年に繋がらないと思ったので」。
ル・マン24時間では「自分が勝つ」のではなく、「勝たせてもらう」という敬虔な気持ちで臨まないと優勝できないと言われています。可夢偉選手もきっとそれを実感したからこそ、自然とそのような行動をとったのでしょう。今年の可夢偉選手と7号車には、速さと強さだけでなく、確かに「運」もありました。可夢偉選手が続けてきた真摯な挑戦が、ついに"ル・マンの女神"を振り向かせたのでしょう。
とはいえ、今回もクルマに重大なトラブルが発生したのは事実です。新設計のクルマであり、まだ十分なトラブルシューティングが出来ていなかったことは間違いありませんが、ライバルの中には速さはそこそこながら、大きなメカニカルトラブルなく最後まで走り続けたクルマもありました。GR010 HYBRIDが他車よりも複雑なメカニズムを内包しているのは確かですが、それでも同じ土俵で戦っている以上、車両トラブルで遅れるようなことは許されません。今大会はギリギリで最悪の状況を回避し、連勝記録を4に伸ばしましたが、来年、そして再来年のル・マンにはさらに強力なライバルが数多く参戦するため、今年のような不安定な戦いをするようなら、勝機を失う可能性も十分にあります。
もちろん、それはTOYOTA GAZOO Racingの人々は百も承知だと思います。それでも、今シーズンのこれから、そして来年に向けてはさらに万全な準備をして臨む必要があると言いたい。"ル・マンの女神"の笑顔を見続けるためには、本当に大変な努力が必要なのです。そう感じた、2021年のル・マン24時間でした。