モータースポーツジャーナリスト 古賀敬介スペシャルコラム 「ル・マンな日々 2024」後編

7号車がクラス最後尾からの猛追&トップ争い!!
24時間を終えて14.221秒差と、勝利にはわずかに届かず… ~2024 ル・マン24時間レース/レビュー~

「ル・マンな日々 2024」の後編は、モータースポーツジャーナリストの古賀敬介さんがル・マン現地で取材したTOYOTA GAZOO Racingの挑戦の模様を、日本人選手2人の姿を中心にレポートします。

厳しいBoPであったが、レース前の走行では手応えを見いだす

 あまりにも壮絶な、24時間の戦いだった。ル・マンの街が再び静寂を取り戻してもなお、戦いのエネルギーは13.626kmのサルト・サーキットに漂い続け、数日前にそこで繰り広げられたし烈な戦いの記憶を鮮明に呼び覚ます。野心を持って臨んだ者たちの、歓喜の美酒と失望の涙がしみ込んだアスファルト。2024年のル・マン24時間は、間違いなく歴史に残る一戦だった。

GR010 HYBRID 7号車

 6月15日、土曜日、午後4時。100周年の記念大会だった前年を上まわる、23台のハイパーカーが轟音を奏でながら一斉にメインストレートを加速していった。それは、気が遠くなるほど長く、過酷な戦いの始まり。懸念された序盤のクラッシュはなく、スムースなオープニングラップが刻まれたことが奇跡に思えたほど、各車のパフォーマンスは拮抗していた。ただし、その中でもやはり耐久レースの古豪であるフェラーリとポルシェ、そして近年WECを制覇し続けてきたTOYOTA GAZOO Racing(TGR)の実力は一頭地を抜いていた。

2024 ル・マン24時間レースに参戦するマシンGR010 HYBRID 7号車

 レースウィークの前週、2024年のル・マンに向けてのBoP(バランス・オブ・パフォーマンス=性能調整)が発表された時、TGRのエンジニアとドライバーは思わず頭を抱えたという。GR010 HYBRIDに課せられた性能調整が、前年のル・マン以上に厳しいものに思えたからだ。エンジニアたちの試算では、強豪ライバルにラップタイムで大きな遅れをとる可能性があったという。実際、ハイパーカーの中でGR010 HYBRIDの重量はもっとも重く、最高出力は下から2番目に低い数値が設定された。最大エネルギー量に関しては上から2番目の数値だったが、重量はタイヤの摩耗やハンドリングに大きな影響を及ぼし、24時間の長丁場を戦う上では大きなハンデになり得る。TGRのメンバーは、昨年と同じように今年もまた、厳しいチャレンジになることを覚悟した。

中嶋一貴TOYOTA GAZOO Racingチーム

 ところが、テストデイ、プラクティスと走行セッションが進む中で、GR010 HYBRIDの立ち位置が予想していたよりも悪くないことが見えてきた。ハイパーカー各車でテストメニューは異なるとはいえ、GR010 HYBRIDは各セッションで上位につけることが多かった。それでも各車の真のパフォーマンスは予選を迎えるまで完全には明らかではなく、実際、予選ではBMW、キャデラック、ポルシェ、フェラーリが速さを発揮した。GR010 HYBRIDはといえば、ブレンドン・ハートレーがステアリングを握った8号車は、トラフィックとスピンによりタイムが伸びず11番手タイム。小林可夢偉がアタックを担当した7号車は、終盤まで4番手につけていたが、ラストアタックでコースオフを喫し、それが赤旗の原因となった結果全タイムが抹消されることに。そのため2台ともハイパーポール進出を逃し、7号車はハイパーカー最後尾の23番手から決勝をスタートすることになった。

レース序盤は8号車が上位を争い、7号車は順調にポジションを上げる

 予選でトラフィックやスピン、コースオフがあったとはいえ、ハイパーポールに進出できなかったという事実は、誇り高きチャンピオンチームにとって受け入れ難いことだったに違いない。しかし、意外にもチーム代表も務める小林は、走行前の車検日の時よりもむしろポジティブだった。予選こそ上位進出を逃したが、決勝は互角に戦えるという確かな手応えを感じていたからだ。ル・マンで勝つことを最優先して設計され、改良が進められてきたGR010 HYBRIDは、厳しい性能調整を課せられてもなお、長い公道区間を含むサルト・サーキットとの相性は良かった。

小林可夢偉

 ハイパーカーの中団および最後尾から24時間の戦いをスタートした2台のGR010 HYBRIDは、確実な走りを続けジワジワと順位を上げていった。とくに8号車はセバスチャン・ブエミのペースが非常に良く、一時は2番手争いに加わるほどだ。また、今回がハイパーカーでのル・マン初出場となるニック・デ・フリースがスタートドライバーを務めた7号車も、落ち着いて周回を重ね、着実に順位を上げていった。GR010 HYBRIDのレースペースは序盤から非常に良く、優勝争いに加わることができるだけのパフォーマンスがあることが明らかに。チームはさらに士気を高めた。

GR010 HYBRID 8号車

 開始からしばらくすると、予想されていたように強い雨が降り始めた。一周13km以上という長いコースだけに、かなり濡れているところと、うっすら湿っているところが混在している。ドライタイヤで走り続けるべきか、それともピットインしてウェットタイヤに交換すべきか? トラックエンジニアを含むチームの判断が最初に試された瞬間だった。そして、ウェットタイヤに交換した2台のGR010 HYBRIDは、予想よりも雨が早く止んだことからステイを選んだライバル車に遅れをとることになってしまった。結果的には正解ではなかったといえるが、長いレースを戦う上で序盤に大きなリスクを負うことを避けたかったという、エンジニアたちの判断も理解できる。そして、例年以上に降雨の回数と時間が長かった今年のル・マンでは、エンジニアだけでなくドライバーも、全ての局面で正解の札を引くことは困難だった。

ピットインするGR010 HYBRID 7号車GR010 HYBRID 8号車

雨のレースで速さ・強さが光った平川。8号車がトップに浮上

 努力を重ねて築いたリードは、各所で発生したクラッシュにより出動したセーフティカーやセーフティゾーンによって帳消しとなり、それとは逆に、大差を一気に縮める好機に恵まれたクルマもあった。雨のル・マンは例年以上に何度もシナリオが上書きされ、気まぐれなストーリーを予想することはほぼ不可能だった。どのクルマもプラスとマイナスの影響を交互に受けながら周回を重ねていたが、そのような状況でもやはり総合力の高いクルマ、そして号車が優勝争いを演じた。ブエミ、ハートレー、そして平川亮がステアリングを握った8号車はその一台であった。

GR010 HYBRID 8号車

 特に夜間やウェットコンディションでの平川の速さは強く印象に残るものだった。ハイパーカーでのル・マン出場は3年目、今やトップドライバーのひとりである。昨年は首位を争う状況で終盤にスピンを喫し、悔し涙を流した。しかし、その苦い経験によって平川はさらに強いドライバーへと成長し、ヘビーウェットの非常に難しいコンディションも大きなミスをすることなく切り抜け、首位を快走した。彼がステアリングを握っていたレース中盤まで、8号車はサルトでもっとも速く、強いクルマだったといえる。

平川亮GR010 HYBRID 8号車

 しかし、夜が明けて空が明るくなっていくにつれ、勢力図が徐々に変化していった。相対的にライバルのスピードが上がり、8号車は再びトップを追う立場に。それでもまだ十分に優勝できるだけの速さは備えていたが、終盤、順位を争っていたフェラーリ51号車との接触によるスピンで8号車は大きく遅れをとることになり、優勝争いから脱落した。上位を競うクルマのバトルは激しく、まるでスプリントレースのような接近戦が随所で繰り広げられていた。8号車とフェラーリの接触も、そのような状況でのレーシングアクシデントではあったが、その後フェラーリにタイムペナルティが課せられたことからも、8号車のハートレーに非はなくアンラッキーだったと言うしかない。

ライバルとの接触で8号車が後退。終盤は代わって7号車がトップを争う

 順位を大きく下げた8号車に代わり、フェラーリ勢に勝負を挑んだのは7号車だった。7号車は、ル・マン直前にレギュラードライバーのマイク・コンウェイがトレーニング中の怪我で欠場を余儀なくされ、急遽昨年までレギュラーのひとりだったホセ・マリア・ロペスがステアリングを握ることになった。ロペスは約半年GR010 HYBRIDをドライブしていなかったにも関わらず、すぐに速さを取り戻した。それは、チームメイトの小林が「今回は3人の中でホセのペースがもっとも良かった」と証言するほどである。彼の適応力の高さは、素晴らしいとしか言いようがない。

ホセ・マリア・ロペスGR010 HYBRID 7号車

 それにも関わらず、7号車は終盤まで8号車ほどの強さを発揮できていなかった。ペース自体は悪くなかったが、2回のスローパンクチャー、センサーのトラブル、パワーダウン、そしてロペスのスティントでのスピンやオーバーシュートなど、すべてが順調とはいえない状況だった。また、スローゾーン中の違反でドライブスルーペナルティを課せられたことも大きな損失だった。それでも、最終盤はロペスが首位を走るフェラーリ50号車を激しく追い続け、自力で勝機をたぐり寄せようとしていた。前を走るフェラーリとの差は30秒程度。相手が燃料補給のためのピットインを行なうかどうかなど、最後まで状況は読めなかった。フェラーリの燃料がギリギリなことは明らかであり、全開でプッシュし続ければトップに立てるかもしれない。しかし、その時点でロペスも既に限界域にあり、ミスで表彰台を失う可能性もあった。

緊迫の終盤戦、僅差の2番手で追う7号車。攻めか守りか? その決断は…

 「エンジニアの中でも、行かせるべきだという人たちと、確実に2位を守るべきだという人たちの二派に分かれ、壮絶でした。自分はその中間に立ち、正直辛い立場でした」と、7号車の当事者であるのと同時に、チームを指揮する立場にもあった小林はその時の緊迫した状況を振り返る。「でも、ドライバーはみんなプロですし全力で走ってもいるので、1周で1〜2秒タイムを上げることなどできないのは分かっています。だから、僕は“無理してプッシュしろ”ではなく、“気持ちよく走ってくれればそれでいい”という考えでした」

GR010 HYBRID 8号車走りを見守るTOYOTA GAZOO Racingチーム

 最終的には、選手権(WECランキング)のことも鑑み「リスクを負わず確実に2位でフィニッシュすることを目指す」というチームの決断が、無線でロペスに伝えられた。
 トップを走るフェラーリ50号車の燃料残量は10%を切り、最終的には2%まで低下した。そのためペースをかなり落としての走行となり、7号車はどんどんと差を縮めていった。しかし、ファイナルラップで赤いクルマの影を踏むまでには至らず、順位は変わらぬまま24時間の戦いは幕を閉じた。

GR010 HYBRID 7号車

 優勝したフェラーリ50号車と、7号車の差は14.221秒。タイム差で見れば、ル・マン24時間史上2番目の僅差である。それだけに、チームとドライバーたちの無念は想像に難くない。パンクが1回でも少なかったら、センサーが故障しなかったら、スピンがなかったら、ドライブスルーペナルティを課せられなかったら、そして終盤スイッチの操作ミスでパワーがダウンしなかったら……。いくつもの「If(イフ)」が、頭をよぎったに違いない。優勝したフェラーリ50号車にしても、全てが完璧だったわけでない。ただ、ミスやアンラッキーな出来事が、わずかに2台のGR010 HYBRIDよりも少なかったのだ。

小林可夢偉ニック・デ・フリース

 改めて振り返ってみれば、引き算のレースだったともいえる。ピークパフォーマンスの多少の違いを帳消しにするほどの、幾多の出来事が起こり、その中でマイナス要素がもっとも少なかったクルマとクルーが勝利を手にしたのだ。性能調整により本来のパフォーマンスをフルに発揮できない状態にあったとはいえ、GR010 HYBRIDにも勝機は確実にあった。

GR010 HYBRID 7号車

最後は運だったが、それに頼るレースはしない。これからもっといいクルマにする

 「最後の最後は、ちょっと運がなかったというのが本音です。ただ、運に頼ってもいけないので、24時間を勝ち切るレースをするためにはどうするべきか、どのようなチームを作るべきかということを、これからもっと突き詰めていきたいと思います。また、クルマに関してもさらに良くできるはずです」と、小林はチーム代表としての立場で24時間のスプリントレースを総括した。
 ル・マン24時間での勝利こそ叶わなかったが、秋には地元富士スピードウェイでの6時間レースも控えている。そして、チャンピオンシップの防衛という大きな目標も絶対に達成しなければならない。小林可夢偉率いるTGR WECチームの勝利をかけた戦いに、終りはない。

表彰台を囲む多くの観客