ハイブリッド時代の幕開け、ロバンペラの史上最年少戴冠。2022年WRCは大きく時代が動いたシーズンだった。
WRCな日々 DAY40 2022.12.22
2022年のWRCは、時代が大きく動いたことが感じられたシーズンだった。ハイブリッド時代の幕開け、カッレ・ロバンペラのWRC史上最年少戴冠、そして日本人にとっては嬉しい12年ぶりのラリージャパン開催と、そこでの勝田貴元の表彰台獲得。激動の1年を、改めて振り返ってみたい。
2022年は、WRCがハイブリッド時代に突入した歴史的な年であり、1997年から続いてきたWRCのトップカテゴリーカーの名称は、WRカーからRally1へと変わった。そして開幕戦のラリー・モンテカルロはWRC新時代を告げる一戦となったが、優勝を争ったのはふたりのレジェンドドライバーたち。すなわち、セバスチャン・オジエ(GR YARIS Rally1 HYBRID)と、セバスチャン・ローブ(Mスポーツ・フォード・プーマRally1 HYBRID)だった。当時オジエは38歳、ローブは47歳でふたり合わせて何と85歳! しかし彼らの戦い、そして走りは年齢を全く感じさせないものであり、新時代のRally1車両を瞬時にして自分のモノにしてしまったことに驚いた。オジエは8回、ローブは9回世界チャンピオンに輝いた、いずれもWRC最強のドライバーである。彼らの才能がずば抜けて高いことは改めて言うまでもないが、今までとは大きく異なる複雑なシステムのハイブリッドラリーカーを、彼ら大ベテランたちが若手よりも早く乗りこなしてしまったことに、正直とても驚いた。
Rally1は、バッテリーとモーターによる「ハイブリッドブースト」がフルに発揮された状態では最大500馬力以上という、恐るべきパワーを発揮する。そんなモンスターを、路面の一部が濡れていたり凍結していたりするフレンチアルプスの峠道で全開走行させるのだから、とてつもなく大きなリスクを負うことになる。しかも、ハイブリッドブーストを得るためには減速時に運動エネルギーを回生しなくてはならず、WRカーの時代とは異なるブレーキングスタイルが求められた。また、エネルギーの回生、放出を制御するプログラムを、数種類用意されたプリセットの中から自分で選ばなければならず、システムの特性を論理的に理解した上でドライブしなくてはならなかった。さらに、かなり重量があるハイブリッドシステムがクルマのリヤ寄りに搭載されたことで、クルマはWRカー時代よりも重くなり、重量バランスも変わってしまった。
このように、Rally1はハイブリッドシステムの採用によりクルマのパワー特性、重量バランスが大きく変化し、WRカーよりも「ジャジャ馬」的な性格が強まることに。そのキャラクターをさらに助長したのが、4WDシステムの前後駆動力配分をインテリジェントに制御していた、センターデフの廃止である。ハンドリング面において、センターデフがなくなったことによる影響はもっとも大きく、多くのドライバーが前年までのような走りをできなくなってしまった。クルマが曲がりにくくなったり、フラフラと不安定になったりと、WRカー時代のようにスムーズに走ることが難しくなってしまったのだ。
そのような状況で、オジエとローブはあっという間にニューカーの特性を理解し、それに合わせたドライビングで序盤から激しい優勝争いを展開。技術、経験、知力、そして戦略を駆使した異次元の戦いは最終日の最後のステージまで続き、結果的にローブがオジエを10.5秒差で抑えて優勝した。オジエは最終日にジャンプスタートで10秒のペナルティを課せられたが、それさえなければ差は0.5秒と非常に僅差。そして、パンクで30秒以上を失わなければ、彼は通算8回目のWRCモンテカルロ優勝を手にしていたはずだった。とはいえ、ふたりの大ベテランがハイブリッド新時代の初戦で主役を演じたのは、ある意味センセーショナルなことであり、改めて彼らのドライビングテクニックの幅広さが浮き彫りになった。
ベテランたちの活躍の裏で、光る走りを見せたのは、総合4位でフィニッシュした当時21歳のカッレ・ロバンペラ(GR YARIS Rally1 HYBRID)だった。ロバンペラはラリー初日、クルマを全く乗りこなせておらず、スピンもあって総合12位に沈んでいた。前年までのキレのある走りは影を潜め、何かを探るようなドライビングになっていたように見えた。WRC初優勝を含むシーズン2勝を挙げた、前年以上の活躍が期待されていただけに、その不調は僕にとって意外だった。
ところが、その状態からの修正力は実に見事だった。コーナーでクルマの向きを変える技術に長けている彼は、ドライビングのキャリブレーションとセッティングの変更により、一気にスピードアップ。合計3本のベストタイムを刻むなどラリー中盤以降は上位を争う速さを示し、総合4位まで順位を挽回してモンテカルロを走破した。そして、続く第2戦スウェーデンでは優勝。以降、第3戦クロアチア、第4戦ポルトガルと、それぞれ異なる路面で怒濤の3連勝を決めドライバー選手権を牽引する立場に。さらに、第5戦サファリ(ケニア)、第7戦エストニアと、開幕から7戦で5勝を飾り選手権のリードを絶対的なものとした。
2022年シーズンが始まる前、TGR WRTチーム代表のヤリ-マティ・ラトバラは「Rally1の時代はロバンペラが有利になるだろう」と予言していた。アンダーステアが強い、つまり曲がりにくいクルマを曲げる、フィンランドスタイルともいえるアグレッシブなドライビングを、ロバンペラは得意としていたからだ。実際、多くのドライバーがアンダーステアに苦しむ中、ロバンペラはGR YARIS Rally1 HYBRIDを非常に上手く乗りこなしていた。ただし、曲がりにくいクルマを曲げるだけでなく、その真逆ともいえる「曲がり過ぎて不安定なクルマを、安定して走らせる」ドライビングも彼はできていた。その対応力こそが強みであり、降雨等により路面のコンディションが悪くなればなるほど、ライバルに大きなタイム差をつけ、僕を含むWRC関係者を驚かせた。
加えて、追い詰められた状況であっても冷静さを保ち続けた「鋼のメンタル」もロバンペラの強みである。卓越したドライビングテクニックもさることながら、何事にも動じない気持ちの強さこそが、ロバンペラをワールドチャンピオンに導いたのかもしれない。シーズン後半、タイトル獲得がかかっていたイープル(ベルギー)ではドライビングミスによりデイリタイアを喫したが、彼がまだトップカテゴリー参戦3シーズン目で、21歳であったことを考えると、シーズンを通して大きなミスは非常に少なかったといえる。また、ポイント獲得圏外の総合順位で終りそうでも、ラリージャパン以外のラウンドでは最終のパワーステージでしっかりとボーナスポイントを獲得するなど、しぶとさも見せた。最終的には第11戦ニュージーランドでシーズン6勝目を挙げ、22歳と1日という、WRC史上最年少記録を大幅に更新する若さでワールドチャンピオンに。オジエからロバンペラへと王冠が受け継がれた2022年10月2日は、時代が大きく動いた、WRCの歴史に刻まれるべき重要な日になった。
新世界王者となったロバンペラは「僕がチャンピオンになれたのは、戦闘力が高く、それでいて信頼性の高いクルマをシーズンの最初からチームが用意してくれたからだ」と、エンジニアたちに感謝の言葉を贈った。実際、それは間違いなく、いかにロバンペラの能力が優れていたとしても、GR YARIS Rally1 HYBRIDの完成度が少しでも低かったら、彼がチャンピオンになれていなかった可能性すらある。ロバンペラが獲得した255ポイントのうち、約7割はシーズンの前半戦に獲得したものであり、第8戦フィンランド以降の獲得ポイントは80に留まる。フィンランド以降の6戦ではライバルのヒョンデ勢が4勝するなど、各戦の戦いをみるとトヨタとヒョンデのクルマ自体のパフォーマンスはイーブンに近かったといえる。シーズン序盤、ヒョンデはクルマのパフォーマンスと信頼性の両方が不足し、前半は1勝しか得ることができていなかった。一方、GR YARIS Rally1 HYBRIDはその高い信頼性により、シーズンの前半でロバンペラに多くの勝利とポイントをもたらしたのだ。フィンランドのファクトリーでクルマの開発に携わった人々は、マニュファクチャラーズタイトル獲得に相応しい、素晴らしい仕事をしたといえる。
ただし、シーズン後半戦でヒョンデ勢が躍進したことからも分かるように、クルマのパフォーマンスはもはや拮抗状態にあり、GR YARIS Rally1 HYBRIDのアドバンテージはそれほど大きくない。特に、サルディニア(イタリア)やアクロポリス(ギリシャ)で苦戦したように、路面が荒れているグラベルラリーでは、ライバルより戦闘力が劣っていたことが明らかになった。TGR WRTとしても、荒れた路面でのパフォーマンス向上が急務であることは認識しているようで、来季に向けてかなり力を入れて開発しているという。
来たる2023年シーズンは、レギュレーションの縛りもあるためクルマにそれほど大きな変更を施すことはできないだろうが、いくつかのアップデートでパワーバランスが変わる可能性はある。また、ロバンペラに次ぐ選手権2位でシーズンを終えたタナックが、ヒョンデからMスポーツ・フォードに移籍したこともあり、2022年はモンテカルロでの1勝に留まったMスポーツ・フォードが、一気に総合力を増す可能性が高い。タイトル争いがRally1初年度だった2022年以上に拮抗することはまず違いなく、ファンにとっては面白く、チームや選手にとっては非常にタフなシーズンになるだろう。
勝田の活躍についても記したい。トップカテゴリーフル参戦3年目だった勝田は、2022年もっとも安定感のあるドライバーだった。ドライビングミスでリタイアを喫したのは、シーズン終盤のニュージーランドだけであり、それ以外の12戦は全て完走しポイントも獲得。10戦で総合6位以上に入り、そのうちサファリと日本では総合3位に入り表彰台に2回立った。その結果ドライバー選手権では5位となり、WRCトップドライバーの一人として、誰もが認める存在になった。
僕個人が考える、2022年の勝田のハイライトは、やはり最終戦ラリージャパンでの総合3位である。地元開催という大きな精神的プレッシャーが両肩にのしかかる中で、それほど大きなミスをすることなく、最終日は激しく降る雨の中、後方から迫ってきたオジエの追撃を抑えきりトヨタ勢最上位でフィニッシュした。ドライビングテクニックの向上もさることながら、それ以上に精神的な強さを増したことが強く印象に残った。ラリージャパンは、2022年の勝田の飛躍を象徴する1戦だったと思う。
とはいえ、次のステップに進むためにはいくつか課題を乗り越えなくてはならない。勝田自身は「ラリー序盤に少し様子を見てしまうこと、そして路面のコンディションが悪くなった時に抑えてしまうことをクリアしないと、毎回表彰台に立ったり、さらに上の優勝を狙うことは難しいと考えています」と、自分の弱点を冷静に見極めている。慎重さがあったからこそ2022年は多くのラリー、多くのステージで経験を積むことができ、それが完走および上位フィニッシュに繋がったことは間違いない。しかし、いくつかのラリーで「ワークスチーム3台目」の重責を担う2023年は、より高い次元での戦いが求められる。常に表彰台を狙える位置で戦いながらも、マニュファクチャラーズポイントを獲得しなければならないという重圧は、これまでの育成プログラムとは大きく異なるものであり、勝田にとっては未体験のビッグチャレンジになるだろう。しかし、機は熟した。勝田が2024年以降にワークスドライバーとしてフル出場するためには、まずパートタイムの2023年プログラムを絶対に成功させなければならない。そして、2022年の勝田の戦いを見てきた限り「絶対にやれる」と、僕は思うのである。
古賀敬介の近況
毎年12月になると決まって酷い風邪をひきます。取材が全て終了し原稿も大部分が書き終わって、気が抜けるからでしょうか。病は気からという言葉を実感します。とはいえすぐに2023年のシーズンが始まるので体力をつけなければなりません。ということで年末年始はスノートレーニングに打ち込みたいと思っています。