マニュファクチャラー選手権4連覇達成の裏側
その3:奇跡の大逆転。そして2025年が始まる
WRCな日々 DAY62 2025.1.22
3年目のホームイベント。TGR-WRTにとって2024年のラリージャパンは、今までとは大きく異なる流れの中で迎えた一戦だった。過去2年は、ドライバーズおよびコ・ドライバーズ、そしてマニュファクチャラーズという、獲得可能な全てのタイトルを決定した上で臨んだ「凱旋ラリー」だった。しかし、2024年に関しては前戦で既にドライバーズおよびコ・ドライバーズ王者の資格を失い、マニュファクチャラーズに関しても首位ヒョンデを追う「チャレンジャー」の立場で挑む一戦となった。
前戦セントラル・ヨーロッパ・ラリーでヒョンデとのポイント差を15に縮めたとはいえ、たった1戦でその差を埋め、逆転することは容易ではない。非常に困難なミッションを達成するためには、第11戦ラリー・チリで実現したように、1-2フィニッシュを飾った上で全てのボーナスポイントも獲得するという、パーフェクトなラリーを目指さなくてはならない。そのためには、まず優勝経験がある選手をアタッカーとして選ぶ必要があり、2023年ラリージャパンの勝者であるエルフィン・エバンスと、同2位のセバスチャン・オジエが大役を任されたのは当然である。しかし、仮に1-2フィニッシュを達成したとしても、スーパーサンデーとパワーステージという、大量ポイントが得られる日曜日にも速さを発揮できなければ、逆転タイトルは難しい。日曜日にリスクを負える存在として、チームの3台目が最終日まで問題なくいい位置につけていることは戦略上必須である。そして、その役を任されたのが勝田貴元だった。
チリを欠場した勝田は、セントラル・ヨーロッパでもバックアップ役を担い、任務をパーフェクトに遂行した。彼が日曜日にフルポイントを獲得したからこそ、チームはマニュファクチャラーズタイトル争いで生き残れたといってもいいだろう。しかし、勝田にとって日本は真のホームイベント。大勢のファンの前で2024年シーズン最高の速さを示し、結果を残したかったはずだ。前年のラリージャパンでは、序盤にクルマにダメージを負いながらもその後巻き返し、9本のベストタイムで愛知、岐阜の狭路を駆け抜けパフォーマンスの高さを証明した。それもあって勝田は「今年こそ!」という並々ならぬ意気込みで、3年目のホームイベントを心待ちにしていた。
ところが、ラリーを前にチームから勝田に告げられたのは「絶対完走すべし。最後まで走りなければ2025年のシートはない」という、非情な指令だった。勝田は今季「速さを発揮できなければ、結果を残すことができなければシートはなくなる」という強い危機感を抱いてシーズンを戦ってきた。トヨタ育成の日本人ドライバーであるという安心感を一切抱くことなく、結果を残すことができなければクビになると、自分をギリギリまで追い込んで各ラリーに臨んできたのだ。しかし、その追い詰められた状況が結果的にいくつかのミスを誘うことにも繋がり、負の連鎖からなかなか抜け出せずにいた。それを払拭したのがセントラル・ヨーロッパだったが、ラリージャパンでもチームは勝田に優勝を狙う役割を与えず、むしろこれまで以上に大きな精神的なプレッシャーをかけたのだった。
母国ラリーに臨むドライバーに対し、大きな重圧をかけるチームの姿勢に疑問を感じる者もいるだろう。しかし、TGR-WRTにとってマニュファクチャラーズタイトルの獲得は何よりも重要なミッションであり、そのためには全てを計算通りに進める必要がある。既に育成枠を外れ、ひとりの契約ドライバーとなっていた勝田にバックアップとして完璧な仕事を求め、それができなければチームにとって必要のない存在となると伝えたのは、ワークスチームとしてある意味正しい采配であり、過去を遡れば他チームではごく普通に行われてきたことである。そして実際、チームの要求に応えられなかった多くのトップドライバーたちが、翌年以降のシートを失ってきた。WRCでタイトルを争うというのは、それほどシビアな世界なのである。ただ、我々日本人としてはやはり勝田にラリージャパンで活躍して欲しいという強い思いがあり、その可能性が絞られたことを残念に感じるのは当然である。
2024年のラリージャパンは、過去2年とは大きく異なり、週末を通して好天に恵まれ、路面は概ねドライコンディションが保たれた。しかし、だからといって難易度が大きく下がったわけではなく、狭く、曲がりくねった山道でフルアタックを続けることは大きなリスクを伴う。そして、トリッキーな愛知の道で最初に優勝争いから脱落してしまったのは、オジエだった。オジエは、最初の山岳ステージである金曜日1本目のSS2をスタートして、約12kmの地点で右前輪がパンク。タイヤ交換で約2分を失い優勝争いから大きく後退した。そのステージでは勝田も左後輪にダメージを負ったが、スローパンクチャーだったのは不幸中の幸いだったといえる。ただ、勝田も約1分を失い、総合9位に順位を下げた。
TGR-WRT にとっては悪夢のような金曜日の朝となり、逆転タイトルはさらに厳しくなったとチームの誰もが覚悟したに違いない。しかし、だからといって勝負を諦めはしなかった。最後まで何が起こるか分からないのがラリー、そしてWRCである。僕自身、これまで何度も「好事魔多し」と表現すべきシーンを見てきた。そして2024年のラリージャパンもまた、思いも寄らぬ展開が待っていたのだった。
SS4、初のドライバーズタイトルに手をかけていたヒョンデのティエリー・ヌービルが、クルマのトラブルでスピードダウン。40秒程度を失った。さらに、SS5ではやはりヒョンデのアンドレス・ミケルセンがクラッシュ、デイリタイアとなってしまった。ミケルセンは、勝田と同じくチームの3台目であり、やはりバックアップ役を担っていた。絶対にリタイアが許されない立場であり、もちろん経験豊富なミケルセンは十分それを理解していたはずだ。それにも関わらずクラッシュを喫した事実を考えれば、TGR-WRTが勝田に絶対完走の重圧をかけたことは、正しかったのではないかと思える。
いずれにせよ、選手権リーダーのヌービルが大きく遅れ、バックアップのミケルセンがデイリタイアという状況は、TGR-WRTにとっては大きなチャンス到来となった。ただし、金曜日を終えた時点で首位にはヒョンデのオィット・タナックがつけており、エバンスは約21秒差の総合2位。勝田は総合4位、オジエは総合5位とそれぞれ順位を大きく挽回していたが、そのままではポイント逆転には及ばない。3人のドライバーたちが、最後の最後まで全力で攻め切らなければ奇跡は生まれないという、依然としてシビアなシチュエーションだった。
土曜日、エバンスは勝利のために、そして逆転タイトルのために、全力でステージに臨んだが、午後のステージに向けて選択したハードタイヤがクルマと路面にマッチせずタイムが伸び悩んだ。総合2位を守るも首位タナックとの差は38秒まで拡がり、TGR-WRTは土曜日終了時点で得られる最大ポイントを逃す展開となっていた。一方、オジエは抜群のスピードで確実に順位を上げていき、土曜日終了時点で総合3位に。総合4位をMスポーツ・フォードのアドリアン・フォルモーと勝田が争う状況となっていた。TGR-WRTは土曜日が終了した段階でヒョンデとの暫定ポイント差を11ポイントまで縮めたことになるが、残り一日での逆転は非常に困難に感じられた。エバンスを38秒リードするタナックは、最終日にフルプッシュする必要はなく、ややペースを落としたとしても首位を守り続けることはそれほど難しくないはず……と、誰もが思ったに違いない。
ところが、ここで「好事魔多し」である。最終日の日曜日は5ステージ合計約71kmと、競技区間の距離はかなり短い。首位タナックにしてみれば、普通に走れば優勝はかたく、ヒョンデとしても彼が首位、ヌービルが総合7位につけていたことから、マニュファクチャラーズタイトルも得られるはずと見ていたに違いない。しかし、その青写真は現実のものとはならなかった。何と、オープニングステージのSS17でタナックがクラッシュ、リタイアとなってしまったのだ。そのニュースを聞いた時、僕の頭の中は無数のクエスチョンマークで埋め尽くされた。どこで? いったいなぜ? いずれにせよタナックが戦列を去ったことは事実であり、その瞬間ヌービルの初戴冠が決定した。そしてエバンスの優勝と、TGR-WRTの逆転タイトルの可能性が一気に現実味を帯びた。なぜなら、土曜日までの順位により、ヒョンデが得られたはずのタナックによる18ポイントが消滅したからである。ただし、スーパーサンデーに関しては再出走したミケルセンがトップに立ち、ヌービルが2番手につけたことで、最終ステージを前に両マニュファクチャラーの暫定ポイントは完全なイコールに。勝負はSS21、今シーズン最後のステージでもあるパワーステージの結果次第となった。
長年WRCを取材してきたが、これほどマニュファクチャラーズタイトル争いが最後まで熾烈かつ高い沸点を保ち続けた記憶はない。まるで、この劇的な最終ステージを盛り上げるために、誰かが逆算してラリー展開のシナリオを記したとしか思えなかった。そのような緊張感溢れる雰囲気のなか、パワーステージ「レイク・ミカワコ2」はスタートした。2台になったヒョンデ勢は今大会2回のデイリタイアから再出走したミケルセン、新王者ヌービルがまず走行。一方、TGR-WRTはチームからついにフルアタックを解禁された勝田が先陣をきり、ミケルセンのタイムを上回ったが、ヌービルのその時点でのベストタイムには及ばず。続いてオジエがスタートラインを後にした。
今季、スポット出場ながら3勝を挙げるなどチームに大きく貢献してきたオジエだが、シーズン終盤はミスが続き、自分を責めるような言葉を多く発していた。チームのために自分が少しでも多くのポイントを獲得しなければならないという、これまで経験したことがないような重圧を感じ続けたからこそのミスだったに違いない。しかし、パワーステージでのオジエの走りは、これぞ元世界王者! と快哉を叫びたくなるほど切れ味鋭いものだった。自信を持ってトリッキーなコーナーを駆け抜け、ミスのない走りでフィニッシュ、タイムは8分38.5秒。ヌービルより1.9秒も速く、その時点でのベストタイムを記録し、これで暫定ポイントではTGR-WRTが上まわったことになる。
オジエに続いてスタートしたのは、首位エバンス。最終日はそれほどペースが良くなく4番手タイムが続いていたが、彼もまたパワーステージでは素晴らしい速さを発揮した。ステージエンドのTVポディウム会場では大勢のファン、チームメイト、チームの首脳陣、そしてTGR-WRTの会長でもある豊田章男トヨタ自動車会長が、TVモニターに映し出される映像を食い入るように見つめていた。恐ろしくなるほど張りつめた緊張感、最高の勝負の場にいることの高揚感と興奮。気がつけば、僕もカメラのファインダーではなく、走行映像が映し出される画面に釘付けになっていた。終盤のハイスピードなダウンヒルセクションを駆け抜け、エバンスはフィニッシュ地点が待つ人里へ。もし、最後の最後でリタイアを喫したとしたら、土曜日までのポイントが全て失われ逆転タイトルは消滅する。エバンス、フライングフィニッシュを全速力で通過。タイムは3番手。ラリージャパン2連勝。そして……TGR-WRTが奇跡ともいえる大逆転で、マニュファクチャラーズタイトルを守ったのだった。
TVポディウム会場にゆっくりと入ってきたエバンスのGR YARIS Rally1 HYBRIDをオジエが、勝田が、ラトバラ代表が、豊田会長が歓喜の表情で迎える。オジエはバンバンバンとエバンス車のボンネットを打楽器のように叩いて勝利を祝福し、車内のエバンスが笑顔でそれに応える。ドライバーズ王者には届かなかったが、実質的なエースとしてチームを1シーズン牽引し、1年ぶりの勝利と堅実な走りでチームのマニュファクチャラーズタイトル防衛に大きく貢献した。また、勝田も苦しいシーズンを送り、ホームイベントでもその速さを発揮することができなかったが、チームの一員としてワークスドライバーが果たすべき仕事をきっちりとやり遂げた。
彼ら3人のドライバーにとって、2024年は決して満足のいくシーズンではなかったに違いない。誰もが上手く行かないラリーを何度も経験し、心が折れそうになったことも一度や二度ではなかったはずだ。それでも、チームのタイトルを守るという大きな目標のために一致団結し、全力を尽くしてそれぞれの役割を果たしたからこそ、奇跡の大逆転は成し遂げられたのだ。初めてドライバーズタイトルを獲得したヌービルの、シーズンを通しての戦いは素晴らしく、新王者となるに相応しいものだった。そして、TGR-WRTの選手たちの戦いぶりもまた、チャンピオンを得るに相応しいものだった。もちろん、戴冠の場には姿を見せなかったが、シーズン4勝をあげたカッレ・ロバンペラの貢献も忘れるべきではない。シーズン中盤のポーランド戦で、オジエの急遽欠場というチームの窮地にホリデーから駆けつけ、準備不足ながらも見事優勝を飾ったのはロバンペラだった。しかし、その彼もまた地元フィンランドでは優勝目前に不運なクラッシュを喫し、悔し涙をのんだ。
改めて振り返ってみれば、2024年のWRCは実にエキサイティングなシーズンだった。各チームのパフォーマンスはこれまで以上に拮抗し、最後の最後まで全力を尽くして戦い続けなければ望むような結果を得られない、厳しい戦いが続いた。そして、そこにスーパーサンデーという要素が加わったことによって、さらに戦いは熾烈なものとなった。だからこそロバンペラ、オジエ、タナックといった世界王者経験者たちであっても、ラリーの最終盤でクラッシュを喫するようなシーンが多く見られたのだ。僕が2024年シーズンのWRCをひとことで表現するとしたら、「壮絶」という言葉を選ぶ。ただし、それは来たる2025年に向けての序章だったと、数ヶ月後には感じているかもしれない。
2025年のWRCは、間もなく伝統のラリー・モンテカルロで開幕する。TGR-WRTのドライバーラインナップは変わらないが、ロバンペラが全戦出場を再開するのはチームにとって大きなプラス要素に違いない。また、新たに新鋭サミ・パヤリがTGR-WRT2から全戦にGR YARIS Rally1で出場するなど、TGR-WRTは最大5台で新しいシーズンに臨む。一方、最後までタイトルを争ったヒョンデも布陣はさらに強力になり、ヌービル、タナックというふたりの世界王者に加え、Mスポーツ・フォードからアドリアン・フォルモーが移籍。2024年、速さと安定性を両立しドライバー選手権5位を獲得したフォルモーは全戦に出場するため、TGR-WRTにとってはやっかいな存在となる可能性もある。2024年以上に、チームの全ドライバーが安定して高ポイントを重ね続けることが求められるシーズンになるだろう。
2025年は規則変更によりRally1車両からハイブリッドユニットが降ろされ、ややパワーは低下するも80kg程度の軽量化により機敏さは増しているようだ。ただし、それによってサスペンションのセッティングやエンジンのチューニングもかなり見直さなければならない。加えて、シングルタイヤサプライヤーがピレリからハンコックに変わることも、大きな変化だ。以前、WRカーの時代にサプライヤーがミシュランからピレリにシフトした時、クルマのセッティングやドライビングアプローチをかなり大きく変えなければならなくなり、勢力図に少なからず変化が生じた。同様のことが2025年も起こるかもしれず、シーズン序盤戦はどのような展開になるのか、予想が非常に難しい。特に、開幕戦のモンテカルロは使用できるタイヤのバリエーションが他のラリーよりも多いため、WRCでの実戦データがない状況で迎えることに誰もが不安を抱いている。新シーズン、更新されたクルマ、新しいタイヤ。2025年WRC開幕戦ラリー・モンテカルロは、暗闇に包まれたフレンチアルプスの山岳路で間もなく戦いの火蓋が切られる。
古賀敬介の近況
2025年WRC、ついに始まります。僕はもう既に開幕戦ラリー・モンテカルロの現場に入り、ローンチイベントの取材やコースの下見を続けています。今年のモンテはどうやら天候が不安定なようで、チュリニ峠では雪が降ったりもしていました。近年は路面にあまり雪がない「ドライ・モンテ」となることが多かったのですが、今年は久々にモンテらしいトリッキーな路面での戦いが見られるかも? とても楽しみです。WRCな日々 番外編 こがっちeyesも引き続きラリー期間中に公開予定ですが、お時間がありましたら「ラリージャパン編」もご覧になってくださいね!