SECTION1ヤリスWRCの冷却問題を"長き友"のデンソーに依頼
世界選手権を戦うトヨタのクルマには"DENSO"のロゴがありました。モータースポーツの世界において、株式会社デンソーとトヨタの関係は非常に長く、日本グランプリを戦うために開発されたトヨタ7に、デンソー製の燃料噴射装置を搭載した1968年以来のおつき合いです。そして2017年、WRCにTOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamとして復帰をした際も、デンソーはオフィシャルパートナーとなり、翌2018年からはヤリスWRCにラジエーターの供給を開始。その年のマニュファクチャラーズタイトル獲得を支え、2019年からは電動ファンの供給を開始。2019年と2020年のドライバーズタイトル獲得においても重要な役割を果たしたのです。
ヤリスWRCは、参戦初年度の2017年開幕戦ラリー・モンテカルロで2位、第2戦ラリー・スウェーデンでは優勝と、低気温のウインターラリー2戦で高いパフォーマンスと結果を残しました。しかし第3戦ラリー・メキシコでは高い気温と標高により、エンジンがオーバーヒート状態となり本来の性能を発揮できず、高気温のラリーにおける冷却性能不足はヤリスWRCにとって唯一にして最大のアキレス腱であることが表面化しました。万全と思える対策を施して臨んだ翌2018年の大会でも、冷却問題は完全には解決されず、TOYOTA GAZOO Racingは、F1とWECで協働実績があるデンソーに協力を求めたのです。
難しい課題でしたが、当時の担当役員や上司、関係者で議論を重ね「ぜひやらせていただきたいとお伝えしました」と、後に本件を引継ぎ、当時の様子を語るのはサーマルシステム事業グループ サーマルマネジメントユニット技術2部長の魚住信幸さんです。「私は若い頃、WRCを戦ったグループA、セリカGT-FOURのインタークーラーを設計した経験から、WRCに携わることで若い人たちのモチベーションが上がり、我々のステータスも上がはずだと考えました。ラジエーターというのは、市販車で普通に使われる状況では差が出にくいパーツですが、競技になれば技術的な性能差を出せるという自信がありましたし、非常に短い期間で結果が出るという部分で、若手の育成にも繋がると考えたからです」
サーマルシステム事業グループサーマルマネジメントユニット技術2 部長 魚住信幸氏(左)
SECTION2若手技術者がWRCを通じて"ものづくり"の喜びと苦しさを経験
エンジンの冷却面に関して、もっとも厳しいラリー・メキシコ。2018年シーズンに関しては9月のラリー・トルコも高温なラリーとなることが予想されます。それまでに冷却問題を解消するため、サーマルマネジメントユニット技術2部 技術1室 技術3課長の山本宏一さんは先手を打ちました。
「一般に入手可能なヤリスの3Dモデルを使い、車両にどのように風が入り、冷却性能が出るのかを我々なりにシミュレーションで研究し、どう対策するのかがベストなのかを考えチームに提案しました。それを高く評価していただき、その後実際の車両データの提供を受け、我々の製品をヤリスWRCに搭載して実車テストで検証するという流れで開発は進みました」
モータースポーツ用のラジエーターについては、トヨタがF1に参戦していた時の製品や開発ノウハウがデンソーにあります。WRC用のラジエーターもそれがベースになり、特にWRCプロジェクトでは前述のように若い社員が中心となり推進しました。実際にラジエーターの製造を手がけた、サーマルマネジメントユニット製造部 製造技術室 製造技術課の勅使河原浩貴班長は、当時の状況を次のように語ります。
「F1に携わっていた諸先輩がいない状況で、新しいメンバーの中で良い方法はないかと考え、年齢、上下関係なく、自主的に意見やアイディアを上げ、みんなで作っていきました。それが職場全体のモチベーション向上にも繋がりました。時に失敗もあり苦しいことも多くありましたが、それ以上に得ることが大きく、喜びを感じることができました」
サーマルマネジメントユニット技術2 部技術1 室技術3 課長 山本宏一氏
山本さんによれば、WRCで求められるラジエーターの製品レベルは非常に高く、製造過程についてもかなり苦労があったようです。
「ラリーカーは振動が激しく想定外の力がかかります。ラジエーターはねじれると四隅に大きな力がかかるため、その部分の放熱フィンがしっかりとロウ付け接合されていなければならないのですが、構造的にそれは非常に難しい。量産品を開発する場合は、市場での使われ方で『最悪条件』を設定し、その高い基準を満たす製品を供給しています。しかし、ラリーは最悪条件を定義することができません。ある日の条件が、次の日には良い方にも、悪い方にも向かうこともあるからです。だから、完璧と思えるものを供給し続けるしかないのです」
製造を担当した勅使河原さんも「放熱フィンの高さが1本あたり1/100mm違うだけでも、それが50~60本になれば0.5mmも変わってきますし、ちょっとしたロウ付け時の条件の違いで不具合が出ることもあります。WRCという特殊な使われかたをするクルマには、完璧な製品しか供給できないのです」と、そのシビアさを強調します。
サーマルマネジメントユニット製造部製造技術室製造技術課 勅使河原浩貴 班長(右)
開発および製造チームの努力もあり、実車テストでは非常に良い結果が出ましたが、その後のさらなる改良も視野に入れ、8月にはエンジンの開発を担当するドイツのTMG(現在はTOYOTA GAZOO Racing Europe)で、実車を使った風洞試験も行ないました。現場にはデンソーのエンジニアも数名立ちあい、各種センサーを使った風洞試験では有効なデータと結果が得られたといいます。
SECTION3トルコでワン・ツーを達成!最も過酷なメキシコも課題をクリア
そして迎えた9月のラリー・トルコで、デンソー製の新ラジエーターを装着したヤリスWRCは終始安定した走りを続け、オィット・タナックが優勝、ヤリ-マティ・ラトバラが総合2位と、チームはWRC復帰後初の1-2フィニッシュを飾りました。サーマルマネジメントユニット技術2部 技術統括室の野崎孝仁さんは「はじめてのWRC投⼊は、性能もさる事ながら、いきなりの悪路で振動をはじめ耐久性の面でとても不安でした。実はそれに合わせてデンソー社員とその家族200名ほどを集め『WRC LIVEを観戦しながらのパブリックビューイング』を主催しました。エールを送る傍らドキドキハラハラの連続でしたが、参加者が一丸となって応援・感動したことが今でも思い出されます。
そのような中で、優勝タナック選手、2位ラトバラ選手という驚きの結果に、心から感動し「感無量」でした」と、当時を振り返ります。
サーマルマネジメントユニット技術2部技術統括室 野崎孝仁氏(左)
しかし、これでプロジェクトが終わったわけではありません。真価が問われるのは、冷却面でもっとも厳しい翌年3月のラリー・メキシコ。標高が高いエリアを走るため、トルコ以上の冷却性能が求められます。そこでデンソーは、トルコ用よりもさらに放熱量が多いラジエーターを用意するだけでなく、高性能な電動ファンも新たに準備しました。1月にはイタリアにある子会社のスタッフの協力を得ながら風洞試験を行い、エレクトロニクス技術5部 第1設計室 設計1課 係長の山本暁徳さんも現場に立ちあいました。
「量産ではまず作らない特殊な電動ファンです。それを風洞で確認しながらつくり込んでいきました。外気温と標高により、冷却性能が1番厳しいのはやはりメキシコです。自分も3月のラリー・メキシコに赴き、チームのコントロールルームで緊張と不安に押しつぶされそうになりながらラリーのスタートを待ちました。そして、最初のステージが終わりチームの人が『よし』と言ったのを聞き『これでひと山越えたな』とほっとしたのを鮮明に覚えています」
2年間オーバーヒートに苦しめられたメキシコで、デンソー製のラジエーターと電動ファンを装備したヤリスWRCは、初めて冷却問題と終始無縁で最後までステージを走り切りエンジンの性能をフルに発揮しました。そして、以降同年のトルコ、2020年のメキシコでも冷却系に関する問題は一切起こらず「唯一のアキレス腱」は完全に姿を消しました。ヤリスWRCは、どのような暑いラリーでも最初から最後まで全力で戦える、強いクルマに仕上がったのです。
2019年のラリー・メキシコに赴いたデンソーのスタッフは"冷却魂 We Cool You"という文字がデザインされたステッカーを大事に持っていました。それは、このWRCプロジェクトを立ち上げた時に社内で掲げたスローガンであり、様々な形で携わった人々の気持ちを表すものでした。
「デンソーは一昨年(2019年)創業70年を迎えましたが、ラジエーターは創業当時からの製品です。単純な製品ではありますが、それだけに奥が深く、我々は"冷却魂"というスピリットでやっています。F1やル・マンもやってきましたが、冷却系に関する限りWRCの過酷さはそれ以上。だからこそ学ぶことが多く、今後も若い人たちを中心に、新しいメンバーでやり続けたいと思います」と、魚住部長はプロジェクトの意義を語ってくれました。ヤリスWRCだけでなく、きっと次の時代を担うGRヤリスにも、デンソーのさらに磨かれた技術と"冷却魂"が込められていることでしょう。