スペシャル
レーシングドライバー木下隆之の
ニュルブルクリンクスペシャルコラム
「車寅次郎のマドンナは…」
影兄ぃの憧れがフーテンの寅さんならば、葛飾柴又のマドンナは佐藤久実さんというのが話の筋だ。影兄ぃが渥美清ならば、佐藤久実さんは倍賞千恵子である。たしかに久実姐さん(やはりいつものようにこう呼ばせてもらおう)は、そのスマートな容姿からは想像できない熱い女である。影兄ぃにも負けず劣らずである。
もはやレース界最速女性の座を恣にしているといっていいだろう。もし仮に、世界の女性ドライバー選手権があったとしたらぜひとも参加させてみたい逸材である。おそらく勝ってみせるに違いない。だって、SUPER GTやらSUPER FORMULAで活躍する現役の男とも遜色のないタイムで周回するのだから、こりゃただ者ではない。だってあの難攻不落なニュルブルクリンクに怯むことなく、喜々として攻めるのだから、これは狂気である。武闘派女性の筆頭であることに疑いはない。
昨年のニュルブルクリンク24時間を終えた翌日、僕ら男のドライバー数人で、コースサイドに見学に行った。走りを復習するためにだ。そこには、5速240km/h超の速度域にもかかわらず、スロットル全開でジャンプしながら駆け抜ける通称「大ジャンプ」があった。度胸が試されるコーナーだ。
ある後輩が、しみじみとしながらこう呟いた。
「久実さん、ここ、アクセルペダルを床まで、踏んでいってるんですよね…」
「僕ら男でもビビるコーナーだけどね」
「久実さん、マジで踏んでいってるんですよね…」
「クラッシュしたら、全損だけどな」
「でも、久実さんはここを踏んでいってるんですよね…」
「でなければあのタイムはでないからな…」
「でも、アクセルペダル、踏んでいってるんですよね…」
「何度も言うな!」
「ただものじゃないですね。あの人…」
僕らの中で彼女を女性などと思っている人はいない。
「世界の猛者どもをばっさばっさと…」
三年前のVLN4時間耐久のスタートを久実姐さんが担当した。予選では満足に走るチャンスがなく、1周だけ転がしただけでのいきなりの本番スタート。マシンは500馬力オーバーのレクサスIS F CCS-Rだ。
「いきなりなんて無理よ。走ってないのにスタートさせるなんて怖いわ」
そんな女性らしい気弱さをみせた。
ところがスタートすると前のマシンを蹴散らし、蹴散らし、オープニングラップから順位を上げて周回を始めたのである。ライバルはポルシェ911だったり、フェラーリ430スクーデリアだ。バリバリの戦闘機を駆逐してみせた。
そして、ピットに戻ってくるなりこう言って僕らを呆れさせた。
「パワーがあるって、乗りやすいわ!」
「500馬力オーバーが乗りやすい?」
「ポルシェが邪魔だったから、直線でパビーンって抜いてきちゃった!」
僕らの中で彼女を女性などと思っている人はいないのである。
昨年のスーパー耐久予選、久実姐さんのアタック中に、チーム監督を担当していた影兄ぃがライバルとのタイム差を逐一無線で伝えつづけた。
「タイム差、マイナス0.2秒だよ」
「この周、マイナス0.3ね」
「あと0.1で抜けるよ」
ライバルを抜けと、久実姐さんを鼓舞したわけだ。
そして最終ラップ。彼女は獰猛なアタックを敢行し、ものの見事にライバルを上回るタイムを叩き出したのだ。コースは完璧なウエットコンディションだったにもかかわらずだ。
そしてピットに帰ってくるなり自らのタイムを確認して一言。
「久々に燃えたわ〜!」
僕らの中で彼女を女性などと思っている人はいないのである。
「実は、超お嬢様なのでございますわ」
そんな男勝りの久実姐さんなのだが、実は医師家系の娘であり自らも薬学部を卒業し医療の道を目指したことはあまり知られてない。幼少から私立小学校に通った、裕福な家庭にはぐくまれた筋金入りのお嬢様なのである。丁寧に、お淑やか育てられたに違いない。
箱入り娘なのだ。
僕が彼女の存在を始めて知ったのは、彼女が美人女子大レーサーとして業界の話題になりはじめたときである。だが、その清楚で淑やかな容姿からは、その後に武闘派女性レーサーに育つなどとは想像もできなかった。のちに全日本ツーリングカー選手権で戦い、男でも身震いするニュルブルクリンクを全開で駆け抜け、ポルシェ911を駆る猛者に恥をかかせるのだから、やはりただ者ではないのである。
ニュルのパドックではこんな声が鳴り響く。
久実姐「蒲生君さぁ、今回のセッティングはどうだったの?」
気持ちを解くような声で言う。
蒲生「いや…その…」
久実姐「走りやすいの?教えてくれるかなぁ?」
蒲生「まあ…その…」
久実姐「はっきり言えよ、ガモー!(怒)」
久実姐「井口君、コース上は濡れているの?」
井口「いや、それほどでも…」
久実姐「じゃ、乾いているわけね?」
井口「乾いてはいません」
久実姐「じゃ、濡れてるんだ。危ないわね」
井口「濡れてもいません」
久実姐「どっちなんだよ、イグチー!(鬼)」
久実姐「松井君って、あんまり食べないんだね」
松井「ええ、食が細いんです」
久実姐「たくさん食べて、体力つけなければダメよ」
松井「食べるとお腹が痛くなっちゃうんです…」
久実姐「もっと喰えよ!マツイー!(獣)」
僕らの中で彼女を女性などと思っている人はいないのである。
根底に流れる女性らしい立ち居振る舞いをする。精神的に落ち込んでいる後輩に、優しく声を掛けることもある。だが、草食系の言動にはキレる。表層を一皮めくると、突如として鬼の久実姐ぇが現れるのだ。
影兄ぃが精神論で語り、久実姐さんが優しく肩を撫でる。そしてキレる。影兄ぃと久実姐さんに加え、もうふたりの個性的な評価ドライバーを加えて戦う任侠TOYOTA C-HRチームはそうしてバランスが取れているのである。
ニュルブルクリンク24時間を戦う外人ドライバーにこれだけは伝えておこう。「マシンがキュートなTOYOTA C-HRだからって、舐めると痛い思いをするよ」って。
だってそのコクピットでステアリングを握っているのは、柳生新陰流の師範と、東西屈指の武闘家女性ドライバーなのかもしれないのだから…。
影山選手、佐藤選手の「木下隆之評」
影山 正彦
基本、後輩思いのやさしい先輩。しかし、たまにスネる。たまにイジケる。たまにカマってちゃん(笑)
ニュル参戦部隊では、『心ひとつ』にする為『和』を何よりも重んじ、酒類担当、宴会部長と化す良きアニキ
ニュルブルクリンク24時間レースには2012年より参戦。2014年にはTOYOTA 86でSP3クラス優勝、2015年にはLEXUS LFA Code XでSP-PROクラス優勝を果たした。
佐藤 久実
孤独を好むフリして実はすっごい寂しン坊。フェミニストっぽいけど意外とコンサバ。一見雑だけど実は神経質。
常にサプライズを模索している生涯のいたずらっ子(子供の日生まれだから仕方ない)。ドライバーのまとめ役であり、ムードメーカーです。
モータージャーナリストやカー・オブ・ザ・イヤー選考委員としても活躍。ニュルブルクリンク24時間レースでは2014年にTOYOTA 86で影山正彦選手らとクラス優勝も果たした。
ニュルブルクリンク初耳学
Mr.ニュルが皆様の素朴な質問にお答えします
- ずっと寝ないの?
- レース中は、サーキットラウンドに簡易的なベッドが用意されている。照明は淡いセピア色だし、ドライバー以外は入室禁止。いたって静かな室内に簡易ベッドが並んでいる。グウグウ熟睡はできないにしても、目を閉じてわずかな仮眠をとることは可能なのだ。それでも疲れが取れないと思うドライバーは、ホテルに戻ってシャワーを浴びることもある。
ただし、僕は一睡もしないよ。仮眠もしない。せっかくの1年に一度のイベントなのだから、その一部始終を見届けていたいからね。そもそも濃いアドレナリンが分泌されていて、睡魔もどこかに吹き飛んでいってしまっています。 - レース中の体のケアは?
- チームが専属のマッサージ師を帯同させてくれている。チームラウンジの隅に、施術用の簡易ベッドが設置されているのだ。ドイツ在住の日本人が、バキバキゴチゴチの体をほぐしてくれる。
専属のドクターも控えてくれている。怪我をした時には真っ先に対応してくれるはずだし、些細な体調の不良にも診療をしてくれる。 一般的には、点滴でブドウ糖を打ちながら24時間を戦い抜くチームも少なくないけれど、我々はその準備はない。あくまで筋肉疲労を癒すだけで24時間を戦っているのだ。 - 栄養補給は?
- 専用のラウンジには、常に温かい食事が準備されているんだ。ドイツ在住の日本人コックが朝昼晩と料理をこしらえてくれる。サラダからメインディシュ、デザートまで、好きなものを好きなタイミングで口にすればいい。
といっても、人気なのは「いなり寿司」と「おにぎり」。やっぱり日本人なんだね。カップ麺も人気。「焼きそば」「ヌードル」「うどん」「そば」。あまり健康的とはいえないけれど、沸騰したポットの前には行列が常にできているよ。