〜片山右京/鈴木利男/土屋圭市+由良拓也対談〜1999年レジェンドトリオがル・マンを語る 第1回(2/2)

「1999年のTS020はすごく楽になった。
レース後に体重が2kgも増えてた(笑)」

鈴木利男

由良 TS020をデザイン(設計)したアンドレ・デ・コルタンツさんは、あの時代の空力設計の最先端を行っていましたね。TS020は画期的なすごいマシンで、今のLMP1車両の先駆けともいえるデザインでした。ドライブした3人のご感想は?

片山 当時のF1マシンと比べると重量はあるし、パワーも少なかったけど、ダウンフォースがすごくて安定感は抜群でした。ル・マンのコースを3分37秒くらいで走ってると、もう完全に(余裕の)ドライブでしたね。燃料を積まないでニュータイヤだったら3分28〜29秒ぐらい出るのを、3分35〜36秒とかで走ってれば、ギアボックスも痛めないし燃費もちょうどいいとこでしたね。

鈴木 右京君は1997年まで(パワーのある)F1に乗ってたもんね。

片山 あと、1998年はシフトがシーケンシャルだったけど、1999年はパドルシフトになって楽になりましたよね。

鈴木 すごく楽だった。疲れ具合は前の年の半分ですよ。1998年はとにかく肉体的に辛くて、胃が痛くなって痩せた。でも1999年はぜんぜん。待ってる間に美味しいもの食べて。クルマ乗って降りたらすぐ食べて飲んでね。レースが終わった後、体重が2kgも増えてた(笑)。

由良 ハコ出身(※)の土屋さんにとってTS020はどうでしたか?

土屋 まったく問題なかったね。もうラクチン、みたいな。フォーミュラだろうがハコだろうが関係ないよ。だって、どっちもタイヤ4つだもん。

片山 天才的。元巨人軍の長嶋茂雄さんみたいだ(笑)。

※「ハコ」とは屋根のあるツーリングカー系のレースカーの俗称。片山さん、鈴木さんは、共にフォーミュラカーで育っている。

1998年ル・マン24時間レース ピット作業中のTS020 27号車

「走行中に停電で真っ暗になった。
『1、2、3、ハイここだ!』って曲げました」

土屋圭市

片山 話しが戻るけど、コルタンツはクルマをデザインするだけでなく、ル・マンというレース全体をコーディネートするプロだった。例えば、映画のセットみたいな1分の1のピットをTMGの裏に作り、タイヤを置く所、カウルを置く所とか、動線を考え何歩でメカニックが動けるかとかやっていたんですよ。

由良 そこまでやってたんですか!

片山 あと、例えば走行中にアクセルワイヤーが切れた時は、ギアをニュートラルに1回入れてカウルを自分で持ち上げて、ギヤボックスにあるパーツをどうこうして対処するとかの練習をやらされた。 最後に無線のワイヤーをびゅーっと伸ばすと6mぐらいあって、それをスロットルに結んで手でアクセル操作して帰って来るとか。アイドリングの回転数が上がるスイッチもあって、アイドリングだけで帰って来る練習もしましたね。

鈴木 ああ。アイドリング上げて戻る練習、確かにやったね。

土屋 1998年のことだけど、真夜中にシケイン前のストレートで330km/hくらい出ていた時、ブレーキをドンって踏んだらバッテリーの端子が折れていきなり真っ暗になった。え?って。そのまま真っすぐぶつかったら、かなりやばい。そこで、タイヤバリヤにこすりつけていけば助かるんじゃないかと。でも、暗闇で何も見えないからもう自分でタイミングを数えるしかないよね。『1、2、3、ハイここだ!』って。バリアを跳ね飛ばし、そのままサンドトラップで止まったよ。

由良 クルマは壊れていなかったんですか!?

土屋 うん、大きくは壊れなかった。こするようにぶつかったから。あれは怖かったな。今までで一番怖かったかもしれない。

由良 それで、そのままピットまで戻って来たんですか?

土屋 無線も使えないから"何があったんだろう?"ってカウル開けたりして。懐中電灯で照らして、あちこち原因を探しながら10分ぐらい考えた。で、バッテリーの端子(の破断)だって分かったけど、(漏電で)ビリビリ来るといけないからグローブを脱いで丸めて端子に乗せてさ、それを(外れないように)足で踏んづけながら走ってピットに戻った。

由良 それはファインプレーでしたね。キャリアの長い利男さんも怖い目にあった経験がありそうですね。

鈴木 ないですねぇ。僕はル・マンに13回出て、他のクルマに1回も当たったことがないんですよ。"安全運転してたな〜"って思いますね(笑)。

土屋 利男さんは上手いんだよ。

鈴木 上手いんじゃなくて、多分マージンを取ってるんですよ。

土屋 いや、上手い。利男さんは速いタイムをひたすら刻み続ける。俺は初めて利男さんと組んだ時、"すげーなこの人!"って思ったよ。

鈴木 出場10回超えると自然にそうなりますよ。

片山 僕なんて逆だったもんな。F1時代は壊し屋みたいな(苦笑)。それを反省してル・マンではとにかくエゴを出さないで、ギアボックスみたいに淡々と走ろうと思ったもの。

TS020 27号車に乗り込んでいる土屋圭市

「レース中に鼻歌歌った人?
 あ、土屋さんだね(笑)」

鈴木利男

片山 1998年のドリンクのこと覚えてます? 空気の圧力を使うタイプで、チューブを噛むとワンウェイで『チッチッ』てドリンクが出てくるやつ。そのタイプのほうがトラブルが起きないからと言われたけど、ストレートでポンと(口から)チューブが抜けてドリンクをまき散らしながら車内で暴れた。コンピュータとかが水で壊れたら大変だから、慌ててウナギみたいに暴れるチューブをつかまえて、で、どうしたらいいかわからなかったから『アウッ』って口にくわえて。一瞬で残っていたドリンクを全部飲んじゃった(笑)。

由良 それは災難でしたね(苦笑)。噂で聞いたんですが、レース中に歌を唄っていた人がいたと聞いてるんですが?

鈴木 土屋さんだね(笑)。

土屋 だって、ヒマだったからさ。ペースを抑えて走っていたから、思わず鼻歌が出ちゃったんだよ。

片山 コルタンツがね「圭市はおもしろいなあ。なんか無線から『フンフンフンフン』って歌が聞こえてくるんだよ。日本人チームはおもしろいな〜」って。

由良 すごいですねえ、ル・マンのレース中に鼻歌交じりで運転していたドライバーがいたとは(笑)。