スペシャル
レーシングドライバー木下隆之の
ニュルブルクリンクスペシャルコラム
TOYOTA GAZOO Racingにとって10回目となるニュルブルクリンク24時間レースが終った。帰国した翌日、こうして激動の戦いを振り返り、キーボードに向かっている。個人的にはまったく納得のいかないレースだっただけに、重い気分でこの原稿に挑んでいる。
リタイヤをしたことにはそれほど後悔はない。ライバルに対してスピードで劣っていたことも、はなから覚悟していたことだ。素直に受けとめている。レースである以上、マシントラブルはつきものであるし、時には歯が立たないことだってある。それが嫌なら、レースなどするべきではないのだ。
悔しかったのは、内容がまったく良くなかったことだ。チーム内のコミュニケーションも整っていたとは言えず、それぞれが抱く目的もバラバラだった。目指すベクトルが乱れたままレースウイークに突入し、そして敗れた。修正することもできず、モヤモヤした気持ちで終えてしまったのはそれが理由だ。
その中でも心が救われたのは、LEXUS RC Fがクラス優勝に輝き、TOYOTA C-HR Racingがクラス3位を獲得したことだろう。僕がドライブしたLEXUS RCは駆動系のトラブルで再びコースに復帰することが叶わなかったが、それでもメカニックの11時間に及ぶ緊急手術には、絶対にチェッカーを迎えるのだという強い意志が感じられたし、それが叶わなかったときの涙には感動できた。この感動は、来年につながることだと思う。
こんなとこがあった。
決勝前々日に行われた第一回目の予選のときだ。僕と松井孝允と蒲生尚弥は、もうひとりのチームメイトを待っていた。そう、エントリーリストに記載されていたもうひとりのドライバー「モリゾウ」の到着を、すべての準備を整えて待機していたのだ。
モリゾウ選手はどうしてもはずせない緊急の公務があり、その日のサーキットインが遅れていた。出走に必要な手続きはすべて終えていたとはいえ、いきなり予選を走るなどとは、本人すら覚悟していなかったようなのだ。
だが、予選で必要な2周の義務周回数を消化しなければ、決勝でステアリングを握ることはできない。だから我々はモリゾウ選手に走ってもらうつもりでいた。
予選1時間ほど前に、モリゾウ選手がサーキットに到着した。レーシングスーツに着替えてパドックに姿を現した。
「さて、走ろうか?」
「準備は整っていますよ」
「えっ、冗談だよ。ビックリした?」
「走りないおつもりですか?」
「いきなりレーシングスーツで登場して、驚かせようと思っていたんだよ」
その意味が我々は理解できなかった。モリゾウ選手は僕らのために出走を辞退する気でいたという。レーシングスーツで現れたのは、我々を驚かすためのジョークだったという。だが我々は、モリゾウ選手を含めてチームだと思っていた。
「僕抜きで戦っていいよ」
「それはできません。モリゾウ選手を含めてひとつのチームです」
「3人で戦ってくれていいんだよ」
「CBOとしてマシンの確認をしてもらわねばなりません」
そう説得して、なかば強引にコックピットに押し込んだのである。チームのために辞退するつもりでいたモリゾウ選手と、チームのために走ってもらう必要を訴えた我々。
「そうか、だったら走るしかなさそうだね」
そんな小さなすれ違いがむしろ、チームの心をひとつにしていったのだと思う。
決勝日を迎えた。そこでも、いい意味での思いの違いがあった。
レースはほぼ23時間を消化しており、そのうちの11時間以上をピットで修復作業を過ごしていた我々にはもはや勝負権はなかった。というよりむしろ、駆動系のトラブルは解消しておらず、ピットからスタートできるかどうかも確信がなかった。
さて、誰がしんがりを務めるか。
チームはモリゾウ選手を指名した。
「モリゾウさん、マシン動くかどうか分かりませんが、それを含めてマシンの確認をお願いします」
チームがそう声を掛けると、モリゾウ選手はちょっとだけ怪訝な顔をした。ここまで来たのだから3人のドライバーで完走を目指せばいいと、そう思ったように僕らは感じた。
「いま、メカニック達が必死に修復しています。発進できないかもしれません。発進できたとしても、いつ止まるか分かりません」
「いや、僕は遠慮するよ。ここまで襷をつないできた3人でゴールすればいいよ」
「僕らは4人でひとつのチームです」
「僕は乗らないつもりでいたんだよ」
「僕らは乗ってもらうつもりでいました」
無理矢理モリゾウ選手にレーシングスーツを着せたのである。
自ら辞退するつもりでいたモリゾウ選手と、4人でひとつだと思っていたチーム。モリゾウ選手の気遣いとモリゾウ選手への期待、その小さなすれ違いがまた僕らの心をひとつにしたのだと思う。
レース内容は決して褒められるものではなかった。マシンも本来の性能を発揮することなく、戦列を離れている。
どうして納得できないレースになってしまったのか。これから反省し、修正しなければならないだろう。
だが、これだけは言える。こんな難局でさえ、チームの心はひとつになれた。こんな難局だからこそ、チームがひとつになれる。道がクルマを鍛え、人を鍛える。それを確認できたことが、2016年のニュルブルクリンク24時間レースに挑んだ最大の収穫だろうと思う。